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アイゼンハワーの死の収容所にて 3

  • 2008/03/28(金) 16:50:25

5月8日のV.E. Day(ヨーロッパ終戦日)だった。

私が監視している何人かの捕虜と一緒に祝うことに決めた。
連中はパンを焼いていて、他の捕虜にもときどき分けていた。
パンはこのグループしかもっていなかった。

戦争が終わったのでみな陽気だった。
私たちは皆、すぐに家に帰れると思った。
彼らには痛ましい希望であった。

われわれはフランス領になる所にいた。
そこで私はフランス軍の蛮行をすぐに目にするのであった。
slave labor camps(奴隷労働捕虜収容所)
へ行くために捕虜を移送したときに。

しかし、この日私たちは幸せだった。
友情の印に私はライフルの弾を抜いて、それを角に立てておいた。
彼らが願うのでライフルで遊ぶことまで許した。

これで座はなごやかになった。
私たちはすぐに歌いだした。
歌を教えあったり、ハイスクール時代に習ったドイツの歌も。

感謝の念から、彼らは特別な小さい甘いパンを私に焼いてくれた。

彼らに残された唯一のプレゼントだった。
ジャケットの中にそれを入れ、私はこっそり兵舎へ戻った。
だれもいないとき、それを食べた。
これほどおいしいパンを食べたことがない。
またパンを食べていたとき、これほど深い宗教心を感じたこともない。

その後まもなく、虚弱で病弱な捕虜がフランス兵に監視されて
フランスの収容所へ行進していく者もいた。

われわれは捕虜の縦隊の後ろのトラックに乗っていた。
時々トラックはスピードを落としたり、止まったりした。
おそらく運転手は私と同じようにショックを受けたからだろう。

ドイツ人捕虜がよろよろしたり、遅れたりすると、
いつも死ぬまで棍棒で頭を殴られた。
別のトラックが拾うために、死体は道路わきにころがされた。

多くの捕虜にとって、
前のkilling fieldsでゆっくり餓死するよりも、
この突然の死のほうが望ましいかもしれなかった。

ついにドイツ人の女性を別の囲い地で見たとき、
なぜわれわれが彼女たちを捕虜として拘束しているのか尋ねた。

彼女らは野営地のあとにしたがっていく、
優秀な種族をつくるためのS.S.の繁殖用家畜として選ばれた、
と私は教えられた。

私は何人かと話した。
これほど気概のある魅力的な女性グループに
会ったことがないと言わざるを得ない。
彼女たちが拘束に値するとは思えなかったのは確かだ。

私は通訳としてますます使われ、そして不運な逮捕を防ぐことが出来た。
M.P'に連行されていた年寄りの農民に関する面白い事件があった。

老人がおかしなナチスの勲章を持っているといって、私に見せた。
幸いにも、私はそれがどのようなものであるかわかる図表を持っていた。
彼は5人の子供を持っていたことで勲章を授与されていた。
われわれの死のキャンプは、ドイツに貢献した彼には公正な罰であるとは思えなかった。
それでM.P.も合意して彼を釈放した。

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