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イラク 劣化ウラン弾被害調査 2
- 2008/03/20(木) 14:30:41
ビデオ紹介■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
NHK BS世界のドキュメンタリー
「イラク 劣化ウラン弾被害調査−ドイツ人医師13年の足跡−」
制作:オチョアワグナー プロダクション(ドイツ2004年)
番組は79歳のドイツ人医師ギュンター博士と
カナダのウラニウム医療研究センターUMRCのテッド・ウェイマン氏が
イラク戦争の劣化ウラン影響調査に向かうところから始まります。
1991年の湾岸戦争後、大勢の兵士や民間人が身体に異常をきたしましたが、
ギュンター博士たちは劣化ウラン弾が原因だと考えています。
ギュンター博士は
「私は、イラクで40年間働いてきました。
この地域で以前ウランを含んだ砲弾の破片を見つけたことがあります。
同時に、重い病気が急増していることを知りました。
2003年のイラク戦争の後、こうした被害がさらに増えているのではないかと思い、
調査に来ました。」と言います。
ウェイマン氏は
「分析のために、爆撃にさらされた人たちの尿のサンプルを集めに来ました。
できれば、肺からもサンプルを取りたいですし、土壌や水も調べたいと思っています。
アメリカ軍やイギリス軍が使った劣化ウラン弾が、
人々や環境をどの程度汚染しているか、知りたいんです」と言います。
この時に採取された住民の尿サンプルなどから劣化ウランが検出されました。
イラクの人々は米英軍が使用した劣化ウラン弾で明らかに汚染されたのです。
バスラからクウェート国境へ向かう道は、
湾岸戦争でも今回の戦争でも戦場となりました。
ギュンター博士は、劣化ウラン弾で破壊された戦車を見つけ、放射線量を測定しました。
「この戦車の残骸は劣化ウラン弾で破壊されたものです。
砲塔に弾が当たった痕があります。
放射線量を測定してみましょう。
カウンターの針が赤い方に触れているのがはっきりと分かります。
劣化ウラン弾は、貫通するときにすさまじい熱を発します。
戦車の中の兵士を一瞬で灰にし、
飛び散った酸化ウランが周りの環境を汚染するのです」(ギュンター博士)
バグダッド近郊では、テッド・ウェイマン氏と
イラク人医師イクラム・シェイクリーが調査を進めています。
そこは、アメリカ軍が軍用車のスクラップヤードとして使っていた場所です。
ウェイマン氏たちは土壌やチリのサンプルを集めます。
驚いた事にこのスクラップヤードには
子どもたちがスクラップを売るためにたくさん出入りしています。
積もったチリが、トラックが通り過ぎる度にもうもうと舞い上がります。
奥に行くに従ってガイガーカウンターの数値がどんどん上がります。
■ ギュンター博士とドラコビッチ博士
−−劣化ウランの危険と闘う二人の医師
湾岸戦争後、長い間、劣化ウラン弾の危険性は知られていませんでした。
この戦争で、多国籍軍は主にバスラの南方で
300トンもの劣化ウラン弾を使用しました。
ギュンター博士は、劣化ウラン弾の影響について何も知らないまま、
戦後のバスラに入ったのです。
「1991年10月、国連の経済制裁発動後のイラクに呼ばれました。
医療体制を視察するためです。
病院は機能していませんでした。
小児病院は、満員状態で伝染病が蔓延し、子どもたちは栄養失調で瀕死の状態でした。
私は、40年間、イラクで医療に携わってきましたが、
湾岸戦争前には見られなかった病気が多発していました。
91年末から93年にかけて、白血病や先天性障害などの異常が沢山認められたのです」
(ギュンター博士)。
ギュンター博士は、子どもたちの病状を写真で記録し始めました。
子どもたちは、放置された砲弾や戦車のすぐそばで、遊んでいます。
これが、白血病の急増と関係しているのでしょうか?
また、ギュンター博士が診察した子どものほとんどは、
父親がバスラ南方の戦車戦で戦っていたことが分かりました。
ウクライナのチェルノブイリ原発事故の後も、
先天性の障害を持つ子どもが、大勢産まれています。
1991年末、ギュンター博士は報告書を書き始めました。
子どもたちの病気は、劣化ウラン弾の放射線によるものだと主張したのです。
最初の報告はドイツの新聞各紙に掲載されました。
1992年に、ギュンター博士は思い切った行動に出ました。
イラクで見つけた劣化ウラン弾に放射性があることを証明するため、
砲弾をベルリンに持ち込んだのです。
しかし、フンボルト大学では、非常に毒性が強く放射性があると分析され、
関わりたくないので工科大学に持っていってくれ、と言われました。
工科大学に行くと、今度はベルリン自由大学の
放射線研究所に持っていくよう言われました。
研究所では、『今日は金曜日なので預かれない。
月曜日にまた来るように』と言われました。
月曜日にまた出直すと、16人の警官が待ち構えていて、
放射性の砲弾を持ち込んだ「罪」でギュンター博士は逮捕されてしまいます。
取り調べの結果、ギュンター博士は起訴され3000マルクの罰金を課せられました。
罰金の支払いを拒んだためギュンター博士は、5週間、刑務所に入れられました。
しかし、これで、イラクから持ち込んだ砲弾に放射性があることが証明されたのです。
ウラニウム医療研究センターの医師(所長)のアサフ・ドラコビッチ博士は、
アメリカ国防総省に12年間勤務し、
湾岸戦争症候群の兵士の症状を研究してきました。
ところが、劣化ウラン弾が病気の原因ではないかと公言した途端、
圧力をかけられたと言います。
「私は内部告発に踏み切りました。
なぜならアメリカ政府は湾岸戦争の帰還兵を
人知れず死なせるべきだと考えていたからです」
(ドラコビッチ博士)。
湾岸戦争後、ドラコビッチ博士が治療に当たった30人の兵士たちは
原因不明の病気に悩まされていました。
ドラコビッチ博士は、放射線の影響を疑いました。
患者の尿を中性子放射化分析という方法で分析したところ、
劣化ウランに陽性という結果が出ました。
その途端、誰もが本当のことを語ろうとしなくなり、
調査をやめるよう圧力をかけてきたのです。
ドラコビッチ博士は、攻防総省を辞め、
自ら設立した医療研究センターで調査を続けました。
「30人の患者の内、過半数から高濃度の劣化ウランが検出されました。
この分析結果を見て、もはや議論の余地はないと思いました。」
(ドラコビッチ博士)
■ 生命の危険を感じながら
米英政府が劣化ウラン弾の危険性を隠し続けているために、
劣化ウラン弾の危険性や被害の調査に取り組み、
警告を発することは生命の危険さえ伴います。
ドラコビッチ博士は劣化ウラン弾は危険だ、と公表したとき、
経歴に傷が付いてもいいのか、と脅されました。
それでも彼が活動を止めないと、かつての同僚たちが、次々と
『頼むからこんな活動は止めてくれ。
君にとっても軍にとっても何一つ良いことは無いんだから』
と電話をかけてきました。
その後、身の危険を感じたドラコビッチ博士は、
カナダに移り、身を隠しながら生活しています。
ギュンター博士もまた身に危険を感じています。
ギュンター博士は道を歩いていて、自動車に意図的にはね飛ばされ、
水路に落とされ重傷を負わされました。
警察は車のナンバーを覚えていないのならわからないと、そのまま何の進展もありません。
なせギュンター博士にこのようなことが起きたのでしょうか?
「一体誰がこんなことをしたのか、と考えました。
ドイツには、私のことを快く思っていない人たちがいます。
劣化ウラン弾の技術を開発したのは、ドイツだと言うことに気付いたからです」。
軍需産業のラインメタル社が、1972年と73年に
先端にウランを使った砲弾の開発に取り組んでおり、
軍需企業MBBも1996年までの17年間、劣化ウラン弾をテストしていたというのです。
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