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4 FEMA国家をコントロールする寸前まで

  • 2008/03/15(土) 09:49:58

1984年から3回、FEMAは国家をコントロールする寸前まで行った。
一回は1984年のレーガンのとき、
パパブッシュのときは、1990年と1992年の2回あった。
しかしこの3回のシナリオでは
戒厳令を正当化するほどの危機はなかった。

FEMAと戒厳令の専門家の多くは、次のように主張する。
アメリカ国民が
政府による完全な接収を我慢し、受け入れる前に

危機が国民にとって十分に危険と思われる必要があると。

必要とされる典型的な危機は、
切迫した核戦争の脅威、
同時に多発した国内の暴動、
多くの人に広範囲の危険を与える一連の国内災害、
テロリストによる大規模な攻撃、
数千万の人が資産もないのに失業している不況、
環境大災害などであろう。

  3回FEMAは緊急事態の用意ができていた

1984年4月レーガンは大統領通達第54号にサインをした。
これはFEMAがコードネームREX84の下で
秘密の国家的「準備的行動」に従事することを認めた。

その「準備的行動」は、
中央アメリカにおける
米軍の直接の軍事行動の開始と同時に発生する
国内の国家緊急事態において
FEMAが軍の責務を引き受ける迅速性を試すためであった。

国内法施行のために軍と州兵の部隊を合法的に使うには、
軍と州兵からなる代表団の存在がこの計画に必要であった。

これらの部隊はアメリカにいる
中央アメリカの不法移民40万人をかき集め、
拘留する任務があったのであろう。

この不法移民は、
アメリカの至る所にある軍事基地に建てられた
10の拘留センターに拘留されるだろう。

REX84は
ワシントンにあるFEMAの建物の5階で厳重に保護され、
そのドアは特殊金属製である。
最高機密にアクセスできる連邦管理局の
民間防衛の長年の職員でさえ、
このドアを通り抜けることはできなかった。
特別な赤い十字架、または十字架の襟ピンを
着けた人間だけが入室を許された。

ノースは緊急計画の草案を作ったが、
Smith司法長官は激しくこれに反対した。

この計画は、憲法の停止、政府権限をFEMAに委譲、
州政府と地方政府を動かす軍指揮官の任命、
戒厳令の宣言を必要としていた。

この計画を支援する大統領政令はすでにできていた。
またこの計画は大規模の暴動や無秩序があったとき、
少なくとも21百万人の黒人の拘束と
集合センターや移転キャンプへの移送を主張していた。
これは1930年代のナチによるユダヤ人の拘束と違いはない。

FEMAが行動寸前まで行った2回目は、
「砂漠の嵐」作戦が実行された1990年であった。
パパブッシュのイラク侵攻に先立って、
FEMAはすでにある恐るべき権力を増大するために新法を立案し始めていた。

計画に編入された部分の一つは、
事前の地方首長や州知事の許可を必要とせずに、
すべての州内と地方内で行動を開始できることだった。
このような事前の許可は過去においてはいつも求められていた。

用意されている手順の多くは西側諸国の経済的崩壊を
予想して作られていた。
イラクとの戦争は破綻した経済を後押しする策略と
考えられたかもしれないが、
西側諸国の不景気をさらに悪化させただけであった。

3回目は、Rodney Kingに対する暴行の評決後に起きた
ロスアンジェルスの暴動のときであった。

暴動が他の都市に広がれば、
FEMAは介入する権限を与えられていたことだろう。
大きな暴動はロスアンジェルスに起こっただけで、
FEMAが行動する口実を与えなかった。

1987年7月5日、マイアミヘラルドは
FEMAの新しい目的を公表した。

その目的とは、核戦争、
激しく広範囲の国内の意見の不一致、
米軍の海外派遣に対する全国的な反対といった、
国家的危機のときに憲法を停止することであった。
ノースがこれを企画した。

1982年の8月に発せられた国家安全通達第52号は、
騒動を鎮圧するために州兵を使用することと関係がある。
この問題の要点は、本当の危機または作られた危機において、
アメリカを警察国家へと変更する権限を
FEMAが持っていることである。

ノースは事実上、独裁制を進める装置を制定した。
司法長官の反対によってこの計画は採用されなかった。

しかし情報機関のレポートによると、
FEMAは緊急時に大統領が署名する22の政令が入った
フォルダーを持っているとのことだ。

これらの政令には、反対によって遅れてはいるが
決して見捨てられていない、
ノースの考えの骨格が盛り込まれていると思われる。

政府が現在のところ
危機とみなしているのは社会不安である。
いつのときも政府の関心事は核戦争であった。

しかし、ベトナム戦争をめぐる
暴力的破壊的なデモによって、
ニクソンは緊急権力の方向を戦時から
国内不安時に変えてしまった。


ロドニー・キング事件
 ビデオ
http://210.148.253.15/maintenance.html?v=2687621c-d455-4c45-9ed5-2f3816c1231c

http://nook.exblog.jp/1469853 より転載

ロドニー・キング事件の簡単な説明:
1991年のアメリカ・ロサンゼルスで、
ロドニー・キングという黒人が白人警官に取り押さえられた。
その際、ロドニーは、警官からの暴行により
尋常ではない怪我を負った。

この一部始終を、近くに居たヒスパニック系の
ジョージ・ホリデーがその現場をホーム・ビデオに撮っていた。

この警官による暴行事件が問題になり、
4人の白人警官が起訴されたが、
陪審員による最終判決は、無罪。
法廷では、ジョージ・ホリデーが取ったビデオ映像が、
証拠として、警官の弁護側から出され、採用されていた。

ビデオ映像というのは、
基本的に「事実」を見せるものとして扱われ、
報道番組や裁判で重宝される。

それは、この裁判でも同じで、
弁護人が提出したビデオ映像によって、
警官が無罪主張の理由としたひとつ、
「事件当時、ロドニー・キングが警官に危害を加える危険があった」
というのが、採用された。

弁護人提出の映像の中で、
4人の白人警官に取り囲まれたロドニー・キングは、
両手を後ろ手に掴まれ、
頭から地面へと、うつ伏せに押さえつけられた。

このとき、ロドニー・キングの片足が跳ね上がり、
弁護人は、白いサークルで囲まれたその足を指しながら、
「ロドニー・キングが警官へ危害を加えようとした意志」を指摘した。

弁護人の主張は、そのまま通ったんやけど、
このときのビデオ映像っていうのが、
ジョージ・ホリデーがホーム・ビデオ・カメラで撮ったものを
裁判用に編集したものやった。

映像をコマ送りにしたり、
指摘部分を明確にするために白いサークルを書き込んだりとか、そういうの。
その意図はともかく、いわゆる「捏造行為」にではなかったし、
裁判でもそう取られたんやと思う。

これに疑問を持ったヒトが、
ジョージ・ホリデーのオリジナル映像(Low Tech)と、
裁判で使われた編集済み映像(High Tech)とを比べたところ、
ロドニー・キングの足の動きは、
上から下へ向かって押さえつけられた反動で
動いたものっていうのが証明された。

コマ送り映像(High Tech)の中では、
衝撃とか反動による動きっていうのが分断されてしまって、
ロドニー・キングが意識的に動かしたように見えた足やけど、
オリジナル映像(Low Tech)の中では、
一連の動きが繋がってて、「反動による動き」は明らかやったから。

それと、白いサークルに囲まれることによって
目を引いたその動きも、
オリジナル映像の中では、
さして、目を引かれる動きでもなかった。

更に、編集後の映像からは音も消されていたから、
警官が口々にロドニー・キングを罵った差別的罵倒も、
裁判では考慮されへんかったし、
事件当時、その場には21人もの白人警官が居たにもかかわらず、
ビデオに映っているのが4人だけやったから、
裁判にはその4人だけがかけられたし、
21人の白人警官が1人の黒人を取り囲んで暴力を振るったっていう状況も、
裁判では考慮されへんかった。

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