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新世界秩序の歴史 5

  • 2008/03/14(金) 13:09:51

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1912年
ウィルソン大統領の親しい助言者である 
Colonel Edward Mandell Houseが
“Phillip Dru: Administrator”を出版した。
彼はこの中でマルクスが夢見た社会主義を奨励した。


1913年2月3日
アメリカ憲法修正16条が制定された。
これによって連邦政府は累進的所得税を課すことができるようになった。

共産党宣言は累進的所得税を必要としていた。
1917年、カナダは戦争遂行の資金調達のために、
一時的手段として所得税を取り入れた。

1913年
ウィルソン大統領が“The New Freedom”を発表した。
彼はこの中で次の事実を明らかにした。
「政界に入ってから私は個人的に人の考えを打ち明けられてきた。

アメリカの有力者または商業と工業の有力者の中には、
  誰かを恐れ、
  何かを恐れている人がいる。

彼らは知っているのだ。
  どこかにある権力がある。
  それは組織化されている。
  それは巧妙である。
  それは監視している。
  それは何かと連結されている。
  それは完全である。
  それは広く普及している。

だから、それを非難するときは、
彼らは声をひそめる必要があると。」

1913年12月23日
The Federal Reserve(連邦準備制度)が創設された。
これはfederalでも reserveでもない。
民間が所有する制度だ。

これは、1910年ジョージアのJekyl Islandの秘密会合で、
Col. Houseを含む銀行家と政治家のグループによって計画された。

これによって通貨の発行権が
アメリカ政府から民間の銀行団へと移った。
クリスマス休会の直前に、
連邦準備法がせかされて議会を通過した。

下院議員のCharles A. Lindbergh Sr.(有名な飛行家の父)が
次のように警告した。

  「この法律は世界一の巨大な信託を制定することになる。
  大統領がこの法律にサインをすれば、
  金という権力による影の政府が合法化されることになるだろう。
  金融信託調査委員会によって、
  影の政府はその存在が証明されている。」

1916年
連邦準備法にサインをした3年後、
ウィルソン大統領は次のことに気づいた。

「私はもっとも不幸な人間だ。
私は知らずに私の国を破滅させた。

偉大な工業国がクレジットというシステムによって支配されている。
このクレジットというシステムは誰かに集中している。
国家の成長と我々のすべての活動は
一握りの人間の手の中にある。

我々の政府は、
  文明国の中で一番悪く支配されている政府の一つ、
  文明国の中で一番完全に支配されている政府の一つ
  となってしまった。

  もはや自由な意見による政府ではない。
  もはや信念と多数の票による政府ではない。
  有力な人間の小さいグループによる意見と強要の政府だ。」

ウッドロウ・ウィルソン
『ウィキペディア』より
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1890年にプリンストン大学の法律学と政治経済学の教授になった。
1902年6月9日に満場一致でプリンストンの学長に選ばれた。
1910年から1911年までアメリカ政治学会の会長だった
1912年の大統領選で民主党は大統領候補にウィルソンを指名した。
共和党のウィリアム・H・タフトとセオドア・ルーズベルトは
お互いに対立し、共和党は内部分裂した。
結果ウィルソンは大統領選に勝利した。

ウィルソンはニュー・フリーダムと呼ばれる
進歩主義的国内改革を実行した。
第一次世界大戦に対してアメリカ合衆国を中立の立場に保ち、
それは1916年の彼の再選に寄与した。
しかしながらルシタニア号沈没事件による国民の反独感情や
大戦間、極東における日本の台頭を懸念する
世論によって参戦への圧力は増大し、
アメリカは1917年4月6日にドイツへの宣戦を布告した。

第一次世界大戦末期の1918年1月8日に、
ウィルソンは有名な"十四か条の平和原則"を発表した。
その中で彼は国際平和機構の設立を提唱し、
国際連盟として実現したが、
アメリカ自身は議会の反対で加盟できなかった。

第一次世界大戦後、和平会談に出席するため
1918年12月4日ヴェルサイユへ出発した。
彼は在職中にヨーロッパへ旅行した最初の大統領である。
合衆国代表としてヴェルサイユ条約に調印した。

4月11日に日本代表の牧野伸顕らが出した人種差別撤廃条項に対し、
イギリスとオーストラリアが反発。
議長を務めたウィルソンも国内選挙の都合から反対に回り、
議長権限で否決に追い込んだ。
このことは、彼の唱える進歩的自由主義の対象が
あくまでも白人のみであると認める形となり、
彼の経歴を傷つけた。

1919年10月2日、コロラドで脳梗塞を発症、左半身不随となった。
しかし大統領の執務不能という事態は秘匿され、
これ以降は夫人のイーディスがすべての国政を決裁した。
こうした事実が明らかになったのは
実にウィルソンの死後になってからのことであり、
これが後の大統領権限継承順位を明文化した
憲法修正第25条制定の伏線となった。

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