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暴露されたユダヤ教

  • 2008/03/11(火) 14:44:23

1700年、すでに反ユダヤの本の出版を妨害する組織があった。
買収工作、暗殺という方法も確立されていたようです。


http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/va46.html
より転載

ヨハン・アンドレス・アイゼンメンガーは、ハイデルベルク大学の東方語学教投
(つまりヘプライ語の専門家)であり、一生をかけて二千ぺ−ジを超える古典的名著
『暴露されたるユダヤ教』全二巻(1700年)を公刊した。

アイゼンメンガー教授は、この執筆にあたってユダヤ学者の図書196種、
キリスト教徒の洗礼を受けたユダヤ人の図書8種を参考にしたという。
ちなみに、同書はヘプライ語の原文とドイツ語訳文が並記してある。

また、同教授は幼時、オランダのアムステルダム
(ここは当時すでにユダヤの牙城であった)で修学したが、
このとき、あるユダヤ学者がイエスを冒涜することをいい
三人のキリスト教徒が割礼を受けてユダヤ教に改宗したことを見、
これに義慣を感じてユダヤ教の研究を生涯の事業とする志をたてたものである。

アイゼンメンガーのこの著作が、
フランクフルトのアム・マインで公刊されると伝わるや、
同地のユダヤ人はさまざまな防害に出た。

まず著者に1万2千グルデン
(この金額が現在に換算してどのくらいになるかは不明だが、
おそらく数憶円というオーダーであったことだろう)を提示したという。

そして、これが拒絶されるや、ウィーンの宮廷ユダヤ人を通じて皇帝を動かし、
帝国内での この書の販売を禁じ、
出回ってしまったものは即座に店頭から回収した。

なお、アイぜンメンガーは1704年、
ユダヤの毒殺を噂されながら、わずか50歳で死んだ。

現在に残るものは、彼の遣族がプロシア国王
フリードリッヒー世に公刊を依頼して、ケーニヒスベルクで出版されたものである。

また、その40年後にフランクフルト版も再販された。
だが、ユダヤ人は、その後いくたぴも同書の販売禁止を請願した。

1787年、ベルリンの大審院は
当時の有名な東方学者チュヒゼンの意見を徴したが、
彼は
「アイゼンメンガーのユダヤの古典文書からの抜粋は忠実に翻訳されている。
ユダヤ学者の述べた言葉を不合理だと、ユダヤ人自身がいうことはできまい」と判断した。
こうしてアイゼンメンガーの著作は、
現在でも古典としての価値を有しているのである。

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