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ロシアの巨大なゲットー

  • 2008/03/11(火) 12:02:23

russia_khazaria_small.gif

黒く塗られたエリアがロシアの巨大なゲットーと呼ばれる
「定住区域」(ユダヤ人制限居住地域)である。
1791年から1917年まで、ユダヤ人が移動することが禁じられた。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb200.htmlより転載

なお、『原初年代記』によれば、ハザール王国のユダヤ人が、
キエフ・ロシア国のウラジミール公にユダヤ教改宗を進言したとある。

しかしウラジーミル公は、988年に、
先進的な文明国であったビザンチン帝国(東ローマ帝国)から
キリスト教を取り入れ、この地にキリスト教文化を広めることになる。

ハザール・ユダヤ人は以後、キリスト教会側から
ロシア人に改宗を挑んだ者として敵意をもって見られるようになり、
11世紀に入ると、ハザール王国は、
キエフ・ロシア国とビザンチン帝国の連合軍に攻撃され、
大きなダメージを受けてしまう。
 
ユダヤ人追放令は、以後何度も出された。
1610年にはシュイスキー、1727年にはピョートル2世が、
さらに1744年には女帝エリザベータが約3万5000人のユダヤ人を
リヴォニアから9年以内に追放するように命じた。

この追放令に対しては、ユダヤ人の商業活動による利益を
考慮した元老院からの反対があったが、エリザベータは、
「私はキリストの敵から利益を得たくない」としてこれを拒否した。
 
1762年に就任した女帝エカチェリーナ2世は、
それまでの皇帝によるユダヤ人政策を受け継ぎ、
1762年に、ユダヤ人以外の外国商人に対しては、入国許可令を出した。
しかしこのようなユダヤ人の入国を許可しない政策は
「ポーランド分割」によって無意味になった。

なぜなら、1772年の第1回ポーランド分割によって
約20万人のユダヤ人が、
さらに1793年と1795年の分割によって
約70万人のユダヤ人がロシア支配下となり、
短期間で合わせて約100万人ものユダヤ人が
ロシア支配下になったためだ。

その結果、ロシアは、当時、
世界で最大のユダヤ人口を有する国となったのであった。
同時に、それまでのユダヤ人追放令は機能しなくなり、
廃止せざるをえなくなってしまった。

このままユダヤ人を自由にさせていては、
ロシア帝国内にユダヤ人が流れ込んでしまう。

そのことを内心恐れ始めていたエカチェリーナ2世は、
ロシア帝国の支配下に入った地域のユダヤ人全員の移住を禁じ、
その土地に縛り付ける政策を実施するようになる。

いわゆる「定住区域」という名の巨大なゲットーのスタートである。

エカチェリーナ2世がこの「定住区域」を設定したのは、
皇帝による伝統的なユダヤ人追放令の延長ともいえるが、
直接には、ユダヤ商人によるロシア国内での商業活動を
恐れたロシア商人の要求によるものであった。
 
1801年に就任したロシア皇帝アレクサンドル1世は、
「ユダヤ人改善委員会」を設置して、
漸進的にユダヤ人を矯正して改宗させようとしたが、
それはユダヤ人の反対にあい失敗に終わった。

そこで、次に就任したロシア皇帝ニコライ1世は、
「兵営学校制度」などを施行し、ユダヤ人の強制同化策を取った。

しかしこの制度によって改宗したユダヤ人はごく少数であった。
また改宗を拒んだユダヤ人の中には、自殺した者も少なくなかった。

ロシアの定住区域の拡大図
定住区域外の東部の町にも多くのユダヤ人が住んでいた。
russia_khazaria.gif

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