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中世のユダヤ人追放
- 2008/03/11(火) 11:07:40

Fig. 9 は中世におけるユダヤ人の居住地帯と移住ルートを示すものである。
キリスト教社会が、ユダヤ人を閉め出した有様が一目でわかる。
スペインからの脱出は 1492年、
ポルトガルからは 1497年、
英国からは 1290年
フランスからは 1306年、
ドイツからは 1096-1792年、
リトアニアからは 1495年、
クリミアからは 1016年、
オーストリア、 ハンガリーからは 1349-1421年であった。
http://kansai.jasnaoe.or.jp/ksnaj/k-senior/old/DOC/judea/risan.html#51
より転載
11世紀から、キリスト教再興運動が起こり、
13世紀の初めに、スペインはキリスト教国になった。
ユダヤ人達は当初、それまでと継続的に社会的役割を果たしたが、
やがてキリスト教徒の反発を招き、国内に反ユダヤ感情が拡がった。
ユダヤ人に対する略奪、虐殺が各地で起こるようになった。
15世紀、異端審問制度が始まった。
これにより、隠れていたユダヤ人は次々に財産没収、投獄、
公開で「火あぶりの刑」に処せられた。
1492年、唯一残っていたイスラム教の小国、グラナダがキリスト軍に陥落、
これを機にスペイン、イサベラ女王は、すべてユダヤ人に対し国外退去を通告した。
こうして、国の経済を担うユダヤ人側近を失ったスペイン王朝は急速に国力が衰え、
無敵スペイン艦隊の敗戦を機に、列強との競争から脱落していくのであった。
ユダヤ人のスペイン追放の年は、
奇しくもコロンブスの探検航海出発の年であった。
中世のユダヤ人迫害は、「キリストを裏切ったことに対する憎しみ」、
つまり、宗教的なものであったが、
15世紀を迎える頃から、ユダヤ人の能力に対する
「妬み、反感、」つまり「人種差別の念」が混在するようになってきた。
この時、スペインから追放されたユダヤ人の数は10万人から20万人、
行先は地中海沿岸のイスラム圏か、
または習慣も大して違わないポルトガルであった。
イスラム圏ではユダヤ教に寛大で、宗教の自由も認めめられたので、
比較的に落着いた生活を送ることができた。
しかし、ポルトガルでは移住後 5年で
スペインと同様な追放が行われ、今度はオランダへ移住する。
オランダはこれらのユダヤ人を歓迎、彼等から経済を教わり、
強国へとのし上がるのであった。
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