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ディアスポラ(ユダヤ人の離散)
- 2008/03/11(火) 11:00:27

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe200.htmlより転載
紀元73年、967名のユダヤ人が
7ヶ月も籠城し続けていた難攻不落の要塞「マサダ」を、
8000ものローマ帝国軍が総攻撃。
追いつめられたユダヤ人は、2人の老婆と5人の子供を残し、全員自害して果てた。
そして紀元132年に、ユダヤ人による最後の反乱
(バル・コフバの反乱)が鎮圧されると、
それをもってユダヤの対ローマ戦争は事実上終結し、
ローマ帝国は「ユダヤ州」を「シリア・パレスチナ州」に変名。
ユダヤ人はローマ帝国から徹底的に追放されてしまったのである。
これは「ディアスポラ(ユダヤ人の離散)」と呼ばれている。
しかし、その全てがスファラディ系ユダヤ人たちとなるわけではない。
スファラディ系ユダヤ人とは、スペインに移り、
のちにそこから追放されてアラブ諸国に住んだ人々のことである。
ディアスポラの後、ユダヤ人の中には、スペイン以外の地に定着した人々もいる。
特にそのユダヤ国家の崩壊のなか、
自分たちがユダヤの根幹を守らなければならないと考えた者たちがいた。
それが当時のユダヤ教保守派(パリサイ派)や
律法学者、すなわちユダヤの指導者たちであった。
彼らの中枢は、エルサレムを後にして、まずエジプトのアレキサンドリアに移り、
そしてアレキサンドリアから小アジア、
さらにイラクのバグダッド(バビロニア)へと移動していった。
『タルムード』が編纂されたのはこの頃である。
『旧約聖書』を補完するものとしての『タルムード』の発生史は、
すなわちユダヤ教の発展史である。
離散時代のユダヤ社会はかつての神殿祭祀ではなく、
「シナゴーグ(ユダヤ教会堂)」の
ラビ(ユダヤ教指導者)による『旧約聖書』や
『タルムード』の研究解釈に切り替わった。
このシステムは、現在のユダヤ教にそっくりそのまま受け継がれている。
11世紀に「イスラム東方世界」が分裂すると、
それまでユダヤ人に対して穏健であったイスラム政権は、ユダヤ首長を追放。
これによりバビロニアの
「サンヘドリン(ユダヤ長老議会)」本部は陥落してしまった。
そのため、彼らの中枢はヴェニスに移動した。
ヴェニスではあたかも治外法権であるかのように、
これらオリジナルなオリエンタル・ユダヤ人たちは
自由に貿易に携わることができた。
ヴェニスはユダヤ商人の活躍により、
地中海貿易最大の港町へと発展していったのである。
そして、オランダがいわゆる無敵艦隊などを持つようになり、
大航海時代が到来すると、
オリジナルなユダヤ人たちのコミュニティの中心は
オランダ(アムステルダム)に移った。
そして、オランダがイギリスに敗れることによって、
ユダヤ人たちのコミュニティの中心はイギリスへと移っていったのである。
※ アムステルダムのユダヤ人は、
当時のアムステルダム全人口15万人のうち、わずか1%強に過ぎなかったが、
アムステルダム・ユダヤ人共同体は経済的・文化的な繁栄を築いていた。
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