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ナゴルノカラバフの調停
- 2008/03/09(日) 12:24:23

http://tanakanews.com/980207armenia.htmより転載
ナゴルノカラバフは、アルメニアからアゼルバイジャン側に
少し入ったところにある山岳地帯で、広さは山梨県ほど。
人口20万人ほどの小さな地域である。
この地域はソ連時代にアゼルバイジャンに編入されたが、
それ以前はアルメニア人が統治する地域で、
人口もアルメニア人が過半数を占めていた。
中世にペルシャ人やトルコ人の帝国に支配されたころは、
アルメニア人とアゼルバイジャン人が平和に混住する地域であった。
ロシア革命の後、1920年代にアルメニアとアゼルバイジャンは
次々とソ連邦傘下の共和国となったが、その後のスターリンの政策により、
1923年にナゴルノカラバフはアゼルバイジャンに編入された。
アルメニア人が人口の大多数を占めていたため、
アゼルバイジャンに編入された後も、アルメニア人の自治権は認められた。
だがアルメニアとの国境沿いの地域は、
自治州の範囲から外され、完全なアゼルバイジャン領となった。
つまりナゴルノカラバフは、アゼルバイジャン領に囲まれた、
離れ小島のような存在となった。
アルメニア人は「アルメニア正教」と呼ばれるキリスト教徒である。
一方、アゼルバイジャン人はイスラム教徒。
アルメニアでは1988年、政府がゴルバチョフ書記長に対し、
ナゴルノカラバフを返してほしいと要求したが、断られた。
民族的な怒りに燃えた人々は軍隊を組織してアゼルバイジャン側になだれ込み、
アルメニアとナゴルノカラバフの間にあったアゼルバイジャン領を占領した上、
ナゴルノカラバフをアルメニアに併合してしまった。
その時から、アルメニアとアゼルバイジャンとの間で戦闘が始まった。
1994年の停戦までに3万5000人が死亡し、双方で合計100万人が難民となった。
アルメニアは侵略に対する国際的な非難を受けたため、
戦闘さなかの1992年にナゴルノカラバフを独立させ、
表面的にはナゴルノカラバフが
アゼルバイジャンに対して独立戦争をしている、という形に変えた。
アゼルバイジャンにはソ連屈指の大油田があり、
アルメニアはエネルギー供給の多くを、この石油に頼っていた。
戦争が始まると、アゼルバイジャンはアルメニアへの石油供給を停止した。
またアルメニアの南隣にあるトルコも、アルメニアに対する経済封鎖を始めた。
アゼルバイジャン人はトルコ系の人々で、トルコとは親密な関係にあったためである。
一方アルメニア人は、1910年代にトルコとロシアが戦争した際、
ロシアの手先とみなされてトルコ政府によって大量虐殺された
(一説には100万人が死亡)という歴史もあり、
もとからトルコとはあまり仲が良くなかった。
両国は、アメリカ、フランス、ロシアの調停により、1994年に停戦した。
3カ国、中でもアメリカとフランスがこの紛争を終わらせたい
と強く思うのには、理由があった。
バクー油田は19世紀から開発され、20世紀初頭には、世界最大の油田であった。
「世界の金融を支配する」ともいわれるヨーロッパの
ロスチャイルド家の繁栄の一因は、
ロシア革命以前のバクー油田の利権を独占したことにある、
というほどの存在だった。
ソ連崩壊後、バクー油田のばく大な埋蔵量が
再び欧米から注目されるようになった。
だが、油田開発を進めるにはアゼルバイジャン政府の協力が必要だ。
アゼルバイジャンとしては当然、
ナゴルノカラバフ紛争を自国に有利に終結してもらうことを欧米に求めた。
アゼルバイジャンは、紛争解決のカギがアメリカの調停力にあるとみていた。
というのは、アメリカにはアルメニア系の国民が多数おり、
彼らがアメリカ政府に対して強力なロビー活動を展開していたためである。
アルメニア人はソ連成立前後、トルコやロシアから抑圧を受けていたため、
多くの人が祖国を離れてアメリカに移住した。
その子孫が結束し、祖国の戦争を支援してきた。
そのためアルメニアは、アメリカから受ける援助の一人当たりの金額が、
世界で最も多い国の一つとなっている。
この援助によって、アルメニアはアゼルバイジャンやトルコから
経済封鎖されても、何とかやってこれたのである。
また、キリスト教世界であるヨーロッパは、
オスマントルコが東ローマ帝国を滅ぼしたことなどに端を発して、
歴史的にイスラム教徒を敵視してきた。
キリスト教徒であるアルメニア人と、
イスラム教徒であるアゼルバイジャン人の戦いでは、
アルメニア人の方を支援するメンタリティがある。
しかもアルメニアは紀元300年、ローマ帝国より早く、
世界で最初にキリスト教を国教とした国だということも、欧米人は忘れてはいない。
アゼルバイジャンとしては、自国の地下に眠る石油の力を使って、
こうしたアルメニアの優位性に対抗しようと考えた。
アゼルバイジャンとアメリカ、ロシアなどの話し合いによって、
バクーからトルコに至るパイプラインの計画がまとまり、
それがアルメニアを経由することになったため、
昨年に入って紛争解決の必要性がいっそう高まった。
アメリカは、アルメニアが和平交渉で譲歩すれば、
大量の援助資金を供給し、独自の産業を育成して、
ソ連時代に作られたロシア依存型の経済から脱却できるようにすることを、
テルペトロシャン大統領に約束した。
おそらく大統領や欧米政府は、
小さな領土を守るために戦争を続行するより、
アメリカから援助をもらって経済発展した方がいい、
とアルメニア国民が皮算用すると思ったのであろう。
だが彼らの民族意識は、ソ連を崩壊させるほどに強かったのだから、
欧米の札束外交が成功する相手ではなかったのである。
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