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サイモン・ヴィーゼンタール・センター
- 2008/03/05(水) 08:13:38
マルコポーロ事件
ウィキペディアより
発端は、文藝春秋社が発行していた雑誌『マルコポーロ』の
1995年2月号に掲載された記事であった。
記事は国立病院に勤務する西岡昌紀が、
1989年頃から収集した英文資料と、
1994年8月にアウシュヴィッツとマイダネックを自ら訪れ、
多数の写真撮影などを行なった上で執筆したもの。
掲載にあたっての題名は、『マルコポーロ』編集部が決めたものであった。
その内容は、ナチス・ドイツがユダヤ人を差別・迫害した事は
明白な史実としながらも、そのナチス・ドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとした、
とする従来の主張には根拠がない 。
その手段として使用されたとするガス室は、それらの位置や構造からみて、
ソ連もしくはポーランドが戦後捏造した物としか考えられない 。
戦後、連合国軍が押収したドイツ政府文書から判断して、
ナチス・ドイツが「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んで企図した計画は、
ソ連を打倒した後、ヨーロッパのユダヤ人をロシアに強制移住させるものだった
収容所でユダヤ人が大量死した真の理由は、ガス室による処刑ではなく、
発疹チフスなどによる病死である などというものであった。
この記事を掲載した『マルコポーロ』1995年2月号が発売されたのは、
同年1995年1月17日、阪神大震災が起きた日であった。
このため、当初発売直後はマスメディア上の反応は、
震災報道に覆い隠されていた。
雑誌発売を受けて直ちに、アメリカのユダヤ人団体とイスラエル大使館が、
同誌を発行する文芸春秋社に抗議を開始した。
特に、アメリカのユダヤ人団体である
サイモン・ヴィーゼンタール・センターが
内外の企業に対して、
文芸春秋社発行雑誌全体への広告出稿をボイコットするよう呼びかけたのは、
同社への大きな圧力となった。
『マルコポーロ』編集部は、当初、抗議団体に
反論のページを提供するなどとしたが、
結局、文芸春秋社は、『マルコポーロ』自体の廃刊、
及び社長・『マルコポーロ』編集長ら
記事に対して責任のある人々の解任を決定した。
(この直後、記事の執筆者西岡は、朝日新聞紙上で強い怒りを表明した。
この記事を書いたのは、朝日新聞社会部記者で、
文芸春秋社に強い反感を持つ本田雅和記者であった。)
この廃刊直後から、『マルコポーロ』編集長だった花田紀凱は
事件の詳細について沈黙している。
執筆者の西岡はこの決定に抗議を展開。
その際、当時厚生省職員であった西岡に対し、
厚生省幹部が、記者会見を中止するように
西岡が勤務する病院幹部を通じて圧力を加えている。
この厚生省からの圧力について西岡は記者会見で、
官庁名(厚生省)は出さないままに批判した。
しかし朝日・毎日・読売・日経は、この件を報道しなかった
(月刊『正論』とスポーツ新聞のいくつかはこの官庁による圧力を報じた)。
ガス室はなかったと思うドイツ人もいます。
しかし、それを記事にすることは出来ません。
まだ日本は報道の自由があったということになります。
しかしこの事件でホロコーストが報道のタブーになってしまいました。
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