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「黒い九月」と「モサド」の報復合戦

  • 2008/03/05(水) 08:02:01

「ヘブライの館」より転載

「黒い九月」と「モサド」の報復合戦

イスラエル政府は「黒い九月」の活動にどう反応するかを決める
「極秘委員会」を設置した。

極秘委員会はメイア首相とダヤン国防相が共同議長を務めた。
そして、この極秘委員会は、歴史的な決定を下した。

ミュンヘン・オリンピック虐殺事件の計画・支援・実行もしくは間接的に関与した
「黒い九月」のテロリストを“全て”暗殺する決定だった。

徹底報復を決意したメイア首相は、
この任務をイスラエル対外諜報機関「モサド」に命じた。

更にイスラエル軍は、レバノンにジェット機、戦車、3000人の歩兵を投入し、
パレスナチ・ゲリラ基地に次々と空爆を加え、
とりわけベイルート・ダマスカス間をつなぐ
ハイウェイには爆弾を雨あられと投下した。

この大量報復爆撃によって、数百人の無実のパレスチナ人が殺害された。

最初の殺害は1972年10月。
「黒い九月」に所属するローマ在住のパレスチナ知識人、
アデル・ワエル・ザイターだった。

ハラリの男女混成暗殺チームは10カ月のうちに、
イスラエル市民に対するテロに関与した12人のパレスチナ人を殺害した。

彼らはパリやローマで、
乗用車やオートバイからサイレンサー付きの銃で狙撃された。

ニコシアやパリでは、電話や無線機で操作するリモコン爆弾で殺された。

「黒い九月」側も、幹部たちが殺されるのを見て反撃を試みた。

1972年11月13日には、
パリ在住のシリア人ジャーナリストのカデル・カノが射殺された。
彼はイスラエル秘密機関の情報提供者だった。

翌年1月26日には、イスラエル人の実業家、
ハナン・イシャイがマドリッドの目抜き通りで射殺された。

欧州で「モサド」の特別暗殺チームが
「黒い九月」のメンバーを次々とターゲットにして
暗躍している最中の1973年2月、
イスラエル空軍機は堂々とリビア航空機を撃墜し、104人を殺害した。

更にイスラエル政府は報復チームを
パレスチナ・ゲリラの本拠地レバノンにも派遣した。

ターゲットは「黒い九月」を指揮するムハマド・ナジャルとカマル・アドワン、
そしてPLOのスポークスマンのカマル・ナセルだった。
1973年4月10日、計画通り
3人はベイルート郊外の各々の自宅で射殺された。

レバノンでの始末が済むと、今度はターゲットを
ノルウェーに滞在中の大物「赤い王子」に定めた。

1973年7月初旬、メイア首相と極秘委員会の特命を帯びた
ハラリの暗殺チームのほぼ全員が、
欧州各地からノルウェー北部の小さな町、リレハマーに集まった。

「赤い王子」とは、モサド機関が
アリ・ハッサン・サラメというパレスチナ人につけた暗号名だった。

このサラメはPLOの特別暗殺チーム「黒い九月」の
西欧地域の作戦指揮官で、「ミュンヘン五輪虐殺事件」も、
バルフ・コーエンの暗殺も仕組んだ人物だった。

「モサド」の暗殺チームは、リレハマーの地で、
「赤い王子」を数時間にわたり尾行した後、射殺した。

7月21日の夕刻のことだった。

任務を完遂した工作員たちは、急いでノルウェーを離れた。
幾人かの工作員らは、オスロの隠れ家に向かった。

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