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イルミナティ 2
- 2008/02/24(日) 15:37:19
「ヴァイスハウプトと「シオンの議定書」の関係
かの「シオンの議定書」は、ロスチャイルドの依頼を受けて、
1776年、ヴァイスハウプトが完成させたものであるという説がある。
イルミナティが結成されたのが、同年5月1日であることからすれば、
イルミナティを創設したヴァイスハウプトが、「シオンの議定書」を書き上げ、
イルミナティが「シオンの議定書」の指針を実行するために
組織されたということが考えられる。
ヴァイスハウプトとマルクスの関係
「共産主義者の宣言」の起草をマルクスに依頼した
バルーフ・レヴィは、マルクスに宛てた手紙の中で
彼らの目的を次のように記している、とのことである。
「救世主とは、我々ユダヤ民族のことです。
ユダヤの世界支配は、まず第一に、
世界各地の多民族の統合を進めることにより、
次いで、独立した主権に基づき民族分断の壁をなしている国家と
君主制(天皇制、南ユダ王国イザヤの子孫を建てた国)を廃止することにより、
そして最後に、未だ全面的には認められていない
ユダヤ人の権利を至るところで認める『世界共和国』の
建設を進めることによって達成されます」
「この新しい人類の社会組織(コミューン)の中で、
我々ユダヤ人はいかなる国家に属することもなく
また他の民族から何ら抵抗を受けることなくして指導的勢力となり、
やがてその影響は全世界に及ぶことでしょう。
そして、若し彼らの中の何人かの賢者が、
これら労働大衆のうちに確固たる指導権をうちたてることに成功するなら、
プロレタリア(無産者)の勝利によって
次々に世界共和国の一部となっていく諸国家の支配権は、
これらプロレタリアを指導する
我々ユダヤ人の手に容易に収めることが出来ます。
要するに、プロレタリアの勝利は私有財産の廃止をもたらし、
こうして公有財産となった他民族のあらゆる私有財産は、
公有財産を管理するユダヤ人の支配下に入るのです。
かくしてわれわれユダヤ人のメシアが到来する時、
ダヤ人は全世界の民の財産をことごとく
ダビデの星の下につかさどるであろうと言い伝えられてきた
タルムードの予言が実現されることでしょう」
「イルミナティ」のその後
イルミナティは、ドイツバイエルン地方で誕生した。
結成初期の団員は、いずれも
ヴァイスハウプトの弟子や友人たちであった。
その後、ヴァイスハウプトはフリー・メーソンの
ロッジに潜入し、最高位に昇りつめ、
結社員にも秘密結社(フリー・メーソン)内に
秘密結社(イルミナティ)を組織するよう指示を与えたとされている。
これが史実とすると、イルミナティは、
フリーメーソンリーの33階級の更に上部の司令塔ということになる。
ネオ・シオニズム系組織としてフリーメーソンよりも
より目的性の強いのがイルミナティであり、
イルミナティ創設後はフリーメーソンの教義は色褪せ、
ユダヤ的本質はイルミナティに純化された。
イルミナティは完全な秘密組織で、
一部フリーメーソンと重なりながら独自の歩みを見せていった。
1787年、ヴァイスハウプトは、
「イルミナティ結社の原著作集」と題する著作を発表し、
イルミナティ結社のねらいと目的を明らかにしている。
基本的に集産主義、社会主義、宗教の撲減、
すべての政府の転覆、個人財産権の廃止を呼びかけていた。
1778年頃に、多くの市民と下級貴族が
大挙入団し、組織は巨大化した。
バヴァリア・イルミナティは急速に膨張し、
ヨーロッパに広がっていった。
最も有名なのはバイエルンで
1776年に設立されたイルミナティで、
1784年にバイエルン政府がフリーメイソン、イルミナティを
含む全ての秘密結社を禁止するまで続いた。
沈滞状況にあったフリーメーソン団員の多くを獲得し、
主として学者、弁護士、裁判官、学生、薬剤師、貴族らの知的エリートが参加した。
1789年、フランス革命が勃発した。
この時、フリーメーソン、イルミナティが暗躍した。
結社が禁止された1785年から4年後のことである。
稀代の魔術師カリオストロは、
革命勃発時、ローマの天使城に監禁されていたが、異端審問法廷で、
「国家転覆を企んだのは自分ではなく、
ある秘密結社に命じられての行為だ」と弁明し、
その結社はバヴァリア・イルミナティだと主張した。
カリオストロによれば、
イルミナティはアムステルダムや、ロッテルダム、
ロンドン、ジェノヴァなどの銀行の巨大な資産を用いて、
専制国家体制の転覆を裏から着々とはかっているという。
フランス革命の随所に
イルミナティの影がさしていたことだけは間違いない。
フランス革命の推進者の多くはフリーメーソンだったが、
彼らはヴァイスハウプトの影響を深く受けており、
実際、ミラボー伯のように、
イルミナティとフランス・フリーメーソンを
結合させるべく動いた人物が、多数記録されている。
そのフランス大革命は最後にャコバン党を生み出し、
フランス大革命後の血なまぐさい大混乱のさなか、
彼らは多くの人々をギロチンに送り、
やがて自分等も自滅してしまう。
イルミナティの最盛期には各国に支部が置かれ、
会員は学者、弁護士、裁判官、学生、薬剤師、
貴族ら知的エリート等、2千人に及んだという。
その中には、かのゲーテもいた。
哲学者ヘルダーがいたし、ベートーベンの師クリスチャン・ネーフェもいた
楽聖モーツァルトもその一員だった可能性がきわめて高い。
後の米国大統領トマス・ジェファーソンもいたといわれている。
イルミナティは、クニッゲ男爵の加盟により組織を大きく拡大させた。
このことが、ヴァイスハウプトとクニッゲ男爵の
深刻な内部抗争を発生させた。
1874年、クニッゲ男爵は退団し、
その後はあらゆる秘密結社を否定する論者となる。
当初は政治的な団体ではなく、
伝統や因習に縛られないリベラルな知的交流を目的としていた。
やがてその反体制性が警戒されて弾圧を受け、
1785年、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」
という禁令が下され結社が禁止された。
さらに、致命的なスキャンダル事件が起こる。
国立アカデミーの教授でイルミナティ幹部だった
ヨーゼフ・ウイッツシュナイダーの密告により、
イルミナティがオーストリアのヨーゼフ2世と結託し、
ドイツを転覆させ、ドイツをオーストリア帝国の支配下に置く陰謀を企んでいる。
そのために毒殺や短剣を用いた要人の暗殺を企んでいる、
とする陰謀が暴露された。
政府はイルミナティの調査を命令する。
結果、反キリスト教的思想、反王制思想、革命思想が発覚した。
同年、2回目のイルミナティを名指しで禁止する法令が出される。
一連の指導者は逮捕され、政府高官は左遷、公職追放された。
ヴァイスハウプトはレーゲンスブルクに亡命し、
イルミナティの弁護の著書を次々に出したが、無駄であった。
この頃、彼は私生児を設け、これを堕胎させた。
これは結果的に赤ん坊殺しのスキャンダルに発展し、
終いには「イルミナティでは赤子を生け贄にする黒ミサを行っている」
というデマまで生まれた。
さらに、イルミナティの元団員達が裏切り、
イルミナティは毒殺と私刑に満ちた恐怖支配の黒魔術結社であり、
テロによる政府転覆を狙う陰謀結社である、と告発した。
反フリーメーソン論者として知られた
バリュエル神父やロビンソン教授らが、
イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを出版し告発した。
政府も世論も完全にイルミナティの敵となった。
主な団員は公職追放され、団員達も退会した。
オーストリアとワイマールの支部は、その後も何とか存続しようとしたが、
1786年、壊滅する。
イルミナティの寿命は、わずか十年間であった。
1829年、イルミナティの集会がニューヨークで開かれ、
イルミナティの英国人メンバー、ライトが演説を行い、
「イルミナティがあらゆる破壊分子組織と
ニヒリストおよび無神論者を総合し、
共産主義として知られるひとつの国際組織とするつもりである」と公表した。
この新たな企てのために基金を募る委員に指名された一人が、
フランクリン・ D ・ルーズべルトの
直系の先祖クリントン・ルーズべルトで、
集められた基金の一部が、
マルクスとエンゲルスの共産主義活動費用に提供された、との説がある。
ヴァイスハウプトは、その後も、
ほうぼうを亡命しなら著作活動続けたが、
ドイツ中部のゴータ公領に逃げ込み、
彼の支持者だったエルンスト公爵に庇護され、
そこで余生を過ごした。
1830年、彼は死去した。
臨終の枕に集まった弟子たちに、
イルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトは
ため息まじりにこう語っていた。
「我々の理想を歪め、世間に悪評をばらまき、
世のあらゆる陰謀をイルミナティになすりつけようとする黒魔術団がある。
注意するのだ……闇のイルミナティに!」
「イルミナティ」のその後
ヴァイスハウプト死去後、イルミナティは一人歩きし始めた。
その後も、
アメリカ独立戦争、
第一次世界大戦、
ロシア革命、
スペイン内戦、
第二次世界大戦と
重要な転換点で
フリーメーソン、イルミナティの影が見え隠れすることになる。
「ヴァイスハウプトが死んだ後も、秘密の目標は生き続け、
ロスチャイルドはイルミナティの支配者であり続けた。
(現在でも、ロスチャイルドは、
デビッド・ロックフェラーと共にイルミナティを支配している)」
カリオストロ伯爵がローマで逮捕された。
伯爵はこの時、イルミナティなる国際的巨大な陰謀結社があり、
自分はその命令通り動いていただけだ、と弁明した。
フランスの外交官ミラボー伯がドイツでスパイ活動を行っていたが、
彼はここでイルミナティに入団し、その人脈を政治的にも利用した。
さらにフランスのフリーメーソンの実力者をイルミナティに入団させようとした。
そして、ドイツで壊滅状態に陥ったイルミナティの難民として
ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデなる男が、
ミラボー伯の手引きでフランスに現れる。
ミラボーは、彼をフランスのメーソンの顧問的指導者にしようとする。
当時フランスのフリーメーソンはオカルト色が強かった。
ボーデはこれを排そうとする。
しかし、カバラの替わりに政治思想を、
ヘルメスの大作業のかわりに暴力革命を持ち込もうとする
彼らの思想ははなはだ不評であった。
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