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イラク虐待写真をめぐる権力闘争
- 2008/04/14(月) 18:16:34
イラク虐待写真をめぐる権力闘争 2004年5月11日 田中 宇
イラクに駐留するアメリカ軍とイギリス軍の兵士が、
刑務所に拘留中のイラク人に
暴行や虐待を行っていたことを示す写真が世界的に報じられているが、
米軍によるものと英軍によるものと、
虐待の光景が写された2種類の報じられた写真を比べると、異なる点に気づく。
イギリスで流出した写真には、
虐待する側の英軍兵士の顔が分からないように撮られているが、
アメリカ軍の写真には、米軍兵士の顔がはっきり分かるように撮られていることである。
(アメリカ軍の写真)
拘留者に対する虐待はかなり広範に行われ、
その光景を撮った写真が兵士の間で交換されていたと報じられている。
兵士はおそらく虐待を悪いことだと認識しているだろうから、
他の兵士と虐待写真を交換するつもりで撮るのなら、
イギリスの写真のように、虐待する側の顔が写らないように撮るのが普通だ。
アメリカ側の写真には、このような仕掛けがない。
虐待する側の兵士が誰なのか、簡単に特定できる。
しかも兵士の表情は、まるで親しい仲間内の宴会の罰ゲームを
撮影しているときのように、くつろいでいる。
虐待に関与した米兵には、
捕虜虐待を禁じたジュネーブ条約に関する教育が行われていなかったというが、
条約を知らなくても、写真が一般に流出したらどうなるか、容易に想像がつくはずだ。
米軍兵士の表情からは、そういう心配が感じられない。
虐待の写真を撮る行為は、
英米両軍の上官が囚人に対する虐待を「黙認」を超えて
「奨励」していたことを示唆している。
上官が「虐待はない方がいいが、
欲求不満の兵士が囚人を殴ったりするのは、ある程度は仕方がない」
といった「黙認」だけをしているのなら、
虐待しても、その光景を写真を撮って自分から証拠を残すことはやらないだろう。
兵舎での持ち物検査などで上官に写真を見られたら懲戒されるからだ。
米軍の場合、虐待だけでなく写真撮影も、
兵士の業務の一環として行われていた可能性がある。
顔を写された兵士たちは看守部隊の要員で、監獄内は職場である。
▼「グアンタナモ化」されたアブグレイブ刑務所
米軍の組織ぐるみの囚人虐待だったのなら、それはどのように行われたのか。
その経緯もかなり報じられている。
イラク駐留米軍のサンチェス司令官と、
その配下の諜報担当責任者であるファスト少将は、
ワシントンの国防総省から
「刑務所に拘留中のイラク人に対する尋問の効率を何とかして向上させ、
テロ計画やサダムの居場所について情報を引き出せ」と命じられた。
ファスト少将は、キューバのグアンタナモ米軍基地に応援を頼み、
ミラー少将という尋問の専門家がバグダッドに派遣されてきた。
ミラー少将はイラクにある米軍の16カ所の刑務所を回った末に
アブグレイブを選び、ここに「イラクのグアンタナモ」を作ることを決め、
アブグレイブ刑務所の看守をしていた部隊のカーピンスキ司令官にそのことを伝えた。
正式な命令系統を無視した依頼だったので、
カーピンスキは拒否したが
「サンチェス司令官から、好きなようにやって良いと言われている」といって黙らせた。![chainedtobars[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/7/3/7/737kenzi/20080414181816.jpg)
農産物はいま 麦の価格
- 2008/04/14(月) 18:02:20
農産物はいま(9)麦の価格より 伊吹春夫 2008/04/14
最近のマスコミは
小麦の政府売渡価格が「4月から30%値上げになった」と報道するだけです。
いったいいくらになったのか
TVも新聞もほとんど詳細を語りません。
映像メディアは
パンやラーメンの価格が○○%の値上り、うどんもお菓子も……
次々と値上げ……とそれらの「商品」を映すだけです。
飽食時代の消費者はほとんど小麦の価格を知りません。
筆者の解説と疑義
「麦価格高騰で売買差益7割減」と
日本農業協同組合新聞:農政.農協ニュース(2008.2.26)
この記事は一貫して政府の見解を生産者の立場で代弁しています。
農協新聞だから当然でしょう。
(※1)
国民一人当り32kgも消費している小麦が30%値上りするというのに、
年間864円の支出増で納まりますか。
家計の小麦関連支出は
パン・うどん・菓子等で年間¥73,580を支出している(同じ農水省の発表)。
この数字を基準にすれば僅か1%ほどの負担増ということになります。
筆者は「これ本当ですか?」と問いたい。
(※2)
財務省貿易統計1月確定値では5万4,780円、
2月暫定値は5万4,600円です。
差額の1万1,000円は何なのか農水省の説明はない。
(※3)
収支が悪化して最も困るのは誰か?
消費者はこの構造をほとんど知らない。
(※4)
見出しの売買差益7割減はここだ。
食料安定供給特別会計の麦勘定で
収入が減る=農水省の儲けが減るという話だ。
農水省はこの部分を「差益」とは呼ばず、
わざわざ「マークアップ」(利益の意)と称しています。
文末の資料Bの24ページに「マークアップ方式」が説明されているが、
その内容の記述はない。
本来、この差益確保は消費者の理解を得て推進すべきことです。
こうした怪しげな細工で勝手に値上げ出来る法律は改正すべきでしょう。
(※5)
「品目横断的経営安定対策」この言葉が通ずる読者が何人いるだろう。
この900億円は、水田にコメを作らず麦を作るとモラエル補助金の額です。
平成18年度の国産小麦生産高は837,200t。
国産麦1tにつき平均10万7,000円の援助となることを市民は御存知でしょうか。
前項のマークアップ方式といい
ほとんどの消費者が御存じない「農業用語」だと思います。
(※6)
食料の安定再生産の議論をもっと真剣に取組むべき時に来ていることは筆者も同感だ。
しかし、予算確保が最優先の思考だけが目立つ記事だと感じた。
今こそ食料生産の論議を
この記事を読んでいただき、消費者市民に真剣に食料問題を考えて頂きたい。
そして、わが国の生産者団体がどんな見方をしているかも知って欲しいと思います。
国産小麦の生産量はこの5年間横ばいのままです。
硬直した農業政策はコメの減反対策に翻弄されています。
麦の国際価格が2.5倍ににもなろうというのに
「麦の自給率向上」はマスコミの話題にはなりません。
4月1日……小麦の値上げにあたり
「空飛ぶペンギン」的なニュースが、
JanJanに出ないかと期待していましたがダメでした。
- 国内
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クリーン開発メカニズム(CDM)
- 2008/04/14(月) 11:05:57
2007.12.17の毎日新聞より。
先進国が途上国で二酸化炭素などの削減事業に投資し、見返りに排出権を得る
「クリーン開発メカニズム(CDM)」。
中国は大排出国だが、CDMを
排出削減と資金獲得の打ち出の小づちに使っている。
「なるほど、天から金が降ってくるようなものだ」
今月4日、中国陝西省西安市のゴミ処理業「陝西省中建実業」の会議室。
石宝峰社長(63)がひざをたたいた。
議題は、焼却場の余熱を有効活用する発電所の建設計画。
CO2を削減するCDM事業として、
先進国が建設資金を貸してくれるし、
排出権の売却で、返済資金と利益も得られる。
「CO2が金になる? そんなうまい話があるのか」。
陝西工業技術研究院の提案を石社長ははじめ疑ったが、
この日の担当者の説明に納得した。
04年に中国でCDMをまとめた三菱商事の担当者も、
いぶかる中国側を「出世払いみたいなもの」
と何度も説明して口説き落とした。
しかし、今やCDMで生まれた排出権の半分が「中国産」。
中国にはエネルギー効率の悪い工場が多く、改善しやすいためだ。
他の途上国は「チャイナ開発メカニズムだ」と皮肉る。
山西省臨汾市の民間発電所建設現場を6日、日本の投資家らが訪れた。
近くの製鉄所が出す高炉ガスを捨てずに燃やして発電し、
CDM認定を受ける計画の説明を受けた。
数年後には年間35万トンの排出権が生まれる見通しだ。
日本の環境関連企業「PEAR」のCDM担当、佐々木一雄さん(57)は
「巨額資金が武器の欧州勢が、よく気付かなかったものだ」と漏らした。
中国では05年ごろにCDMブームが到来、
数十万トン規模の有力案件は、ほぼ買い手が決まっている。
日揮や丸紅は05年、共同で計4000万トンの排出権を
得られる世界最大級のCDMを中国でまとめた。
日本企業に250億〜300億円で転売する方針だが、
売り上げの大半は中国側への支払いに消え、
「赤字にならない程度」(日揮幹部)という。
一方で中国は、排出権価格が1トン8ユーロを下回らないよう事業者を指導し、
最大の売り手の強みを生かして価格維持を図っている。
この「削減しやすい大量のCO2」をCDMというシステムを通すと、
中国の近代化+大量の資金流入という結果が生み出されています。
このCDM(クリーン開発メカニズム)は、京都議定書に盛り込まれているらしいんですが、
誰が何のために作り出したのか、追究してみる必要がありそうです。
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ダイヤモンド産業とデビアス社
- 2008/04/14(月) 10:58:41
<ダイヤモンド産業とデビアス社>より転載
近代的なダイヤモンド産業の成立
古代、唯一のダイヤモンドの産地はインドでした。
1730年代になって初めて、ブラジルが産地として登場しました。
しかし大資本が存在せず、
殆どが奴隷中心の人海戦術による採鉱にすぎませんでした。
産出量も平均すると年十万カラット程度で、
資本の不足から、後の南アフリカに見られたような大規模採掘は行われず、
地表を人力で探す程度に終始しました。
しかし、ブラジル産のダイヤモンドは、
それまでにインドから細々と流入してきたものと比較すると莫大な量といえました。
これが契機になって、欧州各地、
特にアムステルダム、アントワープなどの町に
ダイヤモンド加工工場が初めて設立されました。
家内工業から産業への転換の始まりでした。
これらの貿易、加工、販売のすべてがユダヤ人の手によってなされてきました。
ブラジル産のダイヤモンドは 1860 年代には早くも枯渇し始めました。
このため、折角誕生した欧州のダイヤモンド産業も、
倒産や縮小の危機に見舞われました。
だが、丁度その時に、南アフリカで新しい大鉱脈が発見されました。
1866 年のことでした。
1899 - 1902 年にかけて起きた南アフリカのボーア戦争は、
典型的な帝国主義戦争として知られていますが、
色々な側面が指摘されています。
英国参戦の主な理由は、十七世紀に入植したオランダ系の白人である
ボーア人が支配する共和国での黒人解放と、
英国系外国人居住者の地位確保が主なものでした。
しかし、英国が戦った真の目的は、十九世紀後半に発見された
キンバレーのダイヤモンドとトランスバールの金を
経済的に支配することにあったと言われています。
アフリカ南部でのダイヤモンドの埋蔵量の膨大さは、
すぐにはっきりとしてきました。
1870 年にわずか十万カラットであった生産は
1913年には六百万カラットへと増大しました。
こうした急激な過剰生産はダイヤモンドの価格を非常に不安定なものにしました。
このような事態を放置すれば、ダイヤモンド採鉱業者は、
いつまでたっても利益なき繁忙へと
追いやられるだけであることをいち早く見抜いた男がいました。
その人の名前はセシル・ローズ Cecil Rhodes です。
セシル・ローズは 1881 年にロスチャイルド資本の後ろだてで
デビアス鉱山会社 De Beers Consolidated Mines を設立、
1988 年には当時最大のライバルであったキンバリー鉱山を合併しました。
その後、ウェッセルトン、ヤーガースフォンテインなど、
現在でも生産を続けている鉱山群を買収し続けました。
ローズの率いるデビアス社は十九世紀末には、
当時知られていた生産地の九割以上を支配するようになりました。
しかし、ローズが死去した 1902 年にはプレミア鉱山が発見されました。
この巨大な鉱山はデビアス支配下の全鉱山の
生産量と同じダイヤモンドを産出しました。
さらに 1908 年には現在のナミビア、当時の独領南西アフリカで、
巨大な漂砂鉱床が発見されました。
こうしてデビアス社自身の生産支配は大きく低下して
二十世紀初めにはわずか四十パーセントに落ち込んでいました。
ドイツ系のユダヤ人オッペンハイマー は
1917 年に現在でも世界最大の金生産者であるアングロ・アメリカン社 設立、
次いで、第一次大戦後に独領から南アフリカへの信託統治となった、
南西アフリカで発見されていた漂砂鉱床の鉱山を入手、
コンソリデイテッド・ダイヤモンド・マインズ社を
設立してダイヤモンド業界に進出しました。
そしてその彼が 1926 年にデビアス社の役員になり、
1930年にはデビアス社の会長になったのです。
この様にしてダイヤモンド生産の主要業者を支配することになった彼が
作り上げた機構は今日でも他に類を見ない独創的でかつ精密なものでした。
第一にダイヤモンド生産者組合と呼ばれる
生産者連合を作り、生産調整を行わせました。
第二に、その生産物を一括して買い上げ、
分類作業を行うダイヤモンド・トレーディング社を設立しました。
第三に、それらのダイヤモンドを一手に販売する
中央販売機構という機構を作り上げました。
こうした組織は今日でも基本的には同じです。
このシステムにより、デビアス社は生産調整を行うと同時に、
生産実績に応じて販売内容と価格を決定、
得た利益をプールすることで、
生産調整に不可欠な買い入れ資金を得る
という巧妙な循環システムを作り上げました。
勿論、このシステムに従わない業者に対して陰に陽に圧力を加えたのです。
昔からユダヤ人がダイヤモンドのビジネスに
携わってきたことは既に述べた通りです。
そしてそのユダヤ人の悲願は自分達の国を持つことでした。
そして第二次世界大戦後にようやっとイスラエルの建国にいたります。
その後、ユダヤ人国家イスラエルは
ダイヤモンド産業を国の基幹産業の一つとして育成します。
具体的にはダイヤモンドの輸出入に関税を掛けないなどの優遇策を講じて、
ダイヤモンド産業を急速に発展させました。
ダイヤモンド産業の発展が如何に
イスラエル経済に貢献してきたかは想像以上のものがあります。
1949年にはたった 512万ドルだったイスラエルのダイヤモンドの輸出は
1960 年には 5632万ドルに
1970年には 2億204万ドルに
1980年には 14億906万ドルとなります。
なんと、加工ダイヤモンドの輸出が
イスラエルの全輸出の約四分の一以上を占めるまでになったのです。
(イスラエルから日本への輸出額の約7ー8割がダイヤモンドであると言われます。)
この発展の陰には国際金融界を牛耳るユダヤ系の資本と
デビアス社を始めとするダイヤモンド産業に関わる
ユダヤ人の連携があったことは言うまでもありません。
しかし、イスラエルのダイヤモンド産業の発展に伴い、
ユダヤ国家としてのイスラエルの国家利益と、
ユダヤ系とはいえデビアス社のカルテルとの間に問題が生じるようになっていきます。
イスラエルの急激な発展で
この時期にアントワープのユダヤ系を中心にした加工業者に
数千人の失業者がでたと言われます。
他方、イスラエルのダイヤモンド産業は次第に力をつけてきて
「もう一つのデビアス」と云われる程の力を持つようになります。
そしてついにはインド資本を巻き込み
(デビアス社から買った原石の又買いをする)、
軍需の分野で親しい南アフリカともはかり
(デビアス社を通さない直接買い付けをする)、など、
原石の買い付けから研磨加工、輸出まで全てを牛耳りたいという考えを持つに至り、
デビアス社と対立するようになったと思われます。
1978年にデビアス社はデビアス社の支配を脅かす
イスラエルのダイヤモンド産業に対して、
原石割当量の 20% 削減を通告したのです。
イスラエルは反撃して南アなどからの
デビアス社を通さない原石の直接買い付けにより、
原石の在庫量はほぼデビアス社と同じレベルに達したと云われます。
そしてイスラエルがデビアス社と争った結果、
ダイヤモンド原石は供給過剰になり、
デビアス社によるダイヤモンド市場のコントロールが利かなくなり、
大暴落が始まったのです。
その結果、イスラエルのダイヤモンド産業は、一時、
1980年には 14億 900万ドル(235万カラット)まで輸出を伸ばしたのですが、
その後は、デビアス社が国際金融界を通じてかけた圧力、
特にイスラエルのダイヤモンド産業に融資した銀行や、
直接イスラエルと取引に応じたアフリカ諸国や
業者への徹底的な圧力に屈してしまいます。
そして、イスラエルのダイヤモンドの輸出は
1982年には 9億 400万ドルに
1983年には 6億 2500万ドルまでに落ち込み、
数千人の研磨工の失業者を出します。
そしてイスラエルのダイヤモンド産業は
再びデビアス社のコントロールの下に置かれるようになるのです。
現在では、原石の買い付けはデビアス社、
研磨加工はイスラエルという住み分けが進んで
イスラエルのダイヤモンド産業も
以前の活況を呈するようになってきています。
現在のデビアス社を中心にしたダイヤモンドの生産、販売機構は、
もしも世界にまたがる独占禁止法でもあれば、
真っ先に引っかかるほどの、人為的に見事に統制されたものです。
ただ、現実的に見るならば、独占という言葉から想像されるような、
悪い面ばかりのものではありません。
確かに経済の原則として、価格の人工的な統制がなければ、
競争原理が働いて需給のバランスがとれるところで価格が決まることでしょう。
しかし、その場合、現在のような
ダイヤモンドへのあこがれが維持できたでしょうか?
全ての生産、在庫調整をやめて、
ダイヤモンド市場を自由にしたならば、間違いなく供給過剰となります。
なぜなら、現在確認されている鉱山だけでもフル生産に入れば、
産出量はすぐにでも倍になることは、はっきりしているからです。
この事実を認識して、南アフリカと並ぶ大産出国であるソ連も、
決してデビアスを困惑させるような販売方法をとらず、
むしろ、デビアスのシステムを最大限に利用して、外貨稼ぎに熱中しています。
こうしたシステムが働いているからこそ、
ダイヤモンドの価値とイメージが安定しているのです。
しかし、生産が過剰になればなるだけ
デビアス社は余計に原石を買い上げねばならず、
その費用は原石の卸値段に上乗せされることになり、
結果的には生産の過剰が価格を押し上げることになるのです。
スタンフォード監獄実験
- 2008/04/14(月) 10:41:06
スタンフォード監獄実験より転載
1971年8月14日から1971年8月20日まで、
アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、
心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、
刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、
その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。
模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、
実験期間は2週間の予定だった。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、
11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、
それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせたところ、
時間が経つに連れ、
看守役の被験者はより看守らしく、
受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。
刑務所
スタンフォード大学の地下に構築された刑務所には
看守に反抗的な「悪い囚人」を閉じ込めるための独居房も作成した。
この独居房には幅、奥行き共に約60cm(2フィート)、
高さは背の高い男性でも立てる程度の大きさだった。
各牢屋には、実験主催者に囚人達の動静を
密かに監視する事が出来るよう隠しカメラが設置された。
また刑務所内には窓や時計などの囚人が時間を知るための設備が無かった。
実験者
ジンバルドーは囚人達には屈辱感を与え、囚人役をよりリアルに演じてもらう為、
パトカーを用いて逮捕し、
囚人役を指紋採取し、
看守達の前で脱衣させ、
シラミ駆除剤を彼らに散布した。
背中と胸に黒色でそれぞれのID番号が記された
白色の女性用の上っ張り(smock)、もしくはワンピースを
下着なしで着用させ、
頭には女性用のナイロンストッキングから作ったキャップ帽を被せた。
そして歩行時に不快感を与えるため
彼らの片足には常時南京錠が付いた金属製の鎖が巻かれた。
更にトイレへ行くときは目隠しをさせ、
看守役には表情が読まれないようサングラスを着用させたりした。
囚人を午前2時に起床させる事もあった。
但し、これらの服装や待遇等は、
現在ほとんどの国の本物の刑務所では見受けられず、
実際の囚人待遇より非人道的であり、
囚人待遇の再現性は必ずしも高くはなかった。
実験の経過
次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、
自ら囚人役に罰則を与え始める。
反抗した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、
その囚人役のグループにはバケツへ排便するように強制され、
耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、
ジンバルドーはリアリティを追求し「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、
そのまま実験は継続された。
精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。
さらに、精神的に追い詰められたもう一人の囚人役を、
看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、
他の囚人役にその囚人に対しての非難を強制し、まもなく離脱。
離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、
一度地下1階の実験室から5階へ移動されるが、
実験中の囚人役のただの願望だったと判明。
又実験中に常時着用していた女性用の衣服のせいかは不明だが、
実験の日数が経過するにつれ
日常行動が徐々に女性らしい行動へ変化した囚人も数人いたという。
実験の中止
ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、
監獄実験の囚人役を診てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。
牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症状と全く同じで、
実験にしては出来すぎていると非難。
看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、
素手でトイレ掃除(実際にはトイレットペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、
ついには禁止されていた暴力が開始された。
ジンバルドーは、それを止めるどころか
実験のリアリティに飲まれ実験を続行するが、
牧師がこの危険な状況を家族へ連絡、
家族達は弁護士を連れて中止を訴え協議のすえ6日間で中止された。
しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。
後のジンバルドーの会見で、
自分自身がその状況に飲まれてしまい、
危険な状態であると認識できなかったと説明した。
ジンバルドーは、実験終了から約10年間、
それぞれの被験者をカウンセリングし続け、
今は後遺症が残っている者はいない。
実験の結果
権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、
狭い空間で常に一緒にいると、
次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。
非個人化
しかも、元々の性格とは関係なく、
役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。
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