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「e's(エス)」というドイツ映画
- 2008/04/13(日) 20:00:35
「e's(エス)」というドイツ映画より
心理学の授業で有名なのが”看守と囚人”という凄惨な実験の話で、
人は役割によって人格が変わるとでもいった結論
・・・でしょうねえ・・・になっているようです。
これを映画化したのが「e's(エス)」
という独逸映画というのも意味深なのですが、
1971年にスタンフォード大学で実際に行われた
心理学の実験がかなり忠実に再現されているそうです。
一応、学術的な実験ということで
被験者は新聞で募集され無作為に24人が採用され、
被験者はランダムに看守と囚人(の役割)が割り振られ、
本格的な監獄で実験が行われています。
この実験がいろいろな意味で伝説になったのは、
当初は二週間のはずだったのが7日間で中断しないと
危険な水準に至ったことと無縁ではありません。
なによりも、誰も同様の実験を追試しようとはしなかった事でもわかるように、
中断されるまでの7日間というのがとんでもない7日間だったわけで、
TVのニュース種になるような凄惨なラストを迎えています。
もちろん、学術的な実験なので、
被験者達は自分の意志で途中退場することもできるのですが、
意外なことに降りた人は少数というかほとんどおらず
大半の人が狂気の渦の中へ落ちていきます。
最初に自分の意志で降りた人は実験では禁じ手に(一応)なっていた
相手を直接殴る暴力行為を行った人で、
これはその時に制裁しなければ酷いことが起こると判断したために殴ったものの、
そうした行為で止めるのに限度があるという判断があったようです。
つまり、お芝居でやっているのに
人を殴ってまで秩序を維持する必要性ということに疑問を持ち、
自分のルールというかモラルと照らしたとき
降りるという判断になったのだろうということ
・・・もっとも、人の内面はわかりませんが。
実際、彼が殴って制裁した看守役の男はその後リーダー格になっ
て囚人イジメを行い暴力以外のイジメをどんどんエスカレートさせていきます・・・。
看守役からも一人途中で”こんなことを続けるのは耐えられない”
ということで退場者が出るのですが、
やめることができたはずなのにどんどんと残った人達は
バランス感覚を失調させていきます。
この実験のおっかないところは、
実験を続けた彼等の動機が金銭ではないということで、
被験者達は役割に関係なく同額の報酬が約束されていたのに
途中から行きすぎを止めようとしただけでも
危険にさらされるほど狂気が増幅していきます。
なにしろ、傍観者というか外部から観察する女性心理学者が
看守役の被験者に押さえつけられて
レイプされかかるところまで事態は進行し、
他の被験者達に助けられた彼女は
看守役に殴る蹴るの暴行(正確には、蹴って蹴って蹴りまくる・・・)を加え、
そこに他の看守役がやってきて・・・
とうんざりするようなラストへ加速を付けて向かっていきます。
舞台がスタンフォード大学心理学実験室で、一応、
高学歴で心理学を専攻するだけに精神バランスが
一般人より取れているはずの研究者達までも巻き込まれて
客観性を失っていく狂気というのは圧巻です。
冷静に考えると、ごくごく普通に生活していた
数日前までは会ったことも無いという人たちが、
”大学の実験”で報酬は一定と分かっているはずなのに、
役割を他人から振られて演技していただけで、
たかだか一週間ほどで殺し合うほど人間性を失うことの怖さ・・・。
独逸映画だけに、ヒトラーやナチスと重ねて、
時代のうねりの前に個人が狂気に巻き込まれていく
一つの雛形をそこに浮かび上がらせようとしているのかなと。
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ベトナム機密文書を世に出した3人が語る、驚くべき実話
- 2008/04/13(日) 14:52:06
「ペンタゴン・ペーパーズ」(ベトナム機密文書)を世に出した3人が語る、驚くべき実話
ダニエル・エルズバーグ、マイク・グラベル、ロバート・ウェスト より
ビデオ(ダニエル・エルズバーグ 17分)
ビデオ マイク・グラベル(19分)
ビデオ ロバート・ウェスト(15分)
マイク・グラベルが4100ページという「ペンタゴン・ペーパーズ」を議場で読み上げます。
すると議事録として残ります。
この議事録は公開されます。
「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、
ベトナム戦争に関するアメリカ政府の政策決定の歴史を、
第二次大戦直後からたどって分析した、
7000ページにわたる国防総省の最高機密文書の俗称です。
そこには合衆国政府が、不拡大を約束しながら、
じつは北ベトナムやラオス爆撃やなどを行なって故意に戦線を拡大したこと、
歴代政権が国民を欺いて
"泥沼"の戦争に引きずり込んだ経緯が如実に記されています。
この最高機密文書の一部が、1971年6月13日に
ニューヨーク・タイムズ紙にスクープされました。
ニクソン政権は出版差止め命令を出しましたが、
ニューヨーク・タイムズ側は聞き入れず、
ついに最高裁が政府の命令を違憲とする判定を下す
という劇的な展開をたどったことは有名です。
このときは、諜報活動取締法や国家反逆罪などを
ふりかざす政府の脅しにもかかわらず、
『ワシントン・ポスト』など他紙も続々と同「文書」の公表に踏み切り、
マスコミが政府に反逆するという前代未聞の事態が起こりました。
「世界に類を見ない、公的機関による市民的不服従」とこれを称えるのは、
長期の投獄を覚悟で最高機密文書をリークした
元国務省職員ダニエル・エルズバーグです。
政府のお尋ね者となり、
地下に潜伏しながら文書の公開に奔走したエルズバーグの行動は、
信念に満ちた勇気ある行動が
周囲の人々を動かしていくことを示す、感動的な物語です。
それに比べると、あまり知られていないのが、
ビーコン・プレス版の存在です。
徴兵制に反対して議事妨害の戦術を取っていたマイク・グラベル上院議員は、
その戦術の一環として「ペンタゴン・ペーパーズ」を上院小委員会で読み上げ、
結果的に4000ページ余りを議事録に残しました。
71年7月この全文を出版したのが
ユニテリアン・ユニバーサリスト協会の
非営利小出版社ビーコン・プレスです。
同社はニクソン政権からにらまれ、
2年半にわたる嫌がらせと脅迫を受け、
倒産や刑事訴追の危機にさえみまわれました。
ビーコン・プレスがこの文書を出版するに至ったのは、
どのような経緯によるものなのでしょう。
ゲスト:
*ダニエル・エルズバーグ(Daniel Ellsberg):
国務省や国防総省に勤務し、ランド研究所アナリストとして
「ペンタゴン・ペーパーズ」の執筆チームに参加。
ベトナム赴任時代に政府のベトナム政策の間違いを確信していたエルズバーグは、
「ペンタゴン・ペーパーズ」をつらぬくシニスムと偽善に驚愕し、
反逆罪に問われるのを覚悟で内部告発に踏み切った。
ニューヨーク・タイムズ紙の掲載が始まってからは国家のお尋ね者になり、
友人たちの協力に助けられて地下にもぐったが、
2週間後にみずから出頭して裁判を受けた。
窃盗、共謀、諜報などの罪に問われたが、
ニクソン大統領の「不正行為」(ウォーターゲート事件の一部)のため訴追は却下された。
その後は平和活動家として活躍し、
予想されるイラク攻撃についても、内部告発を奨励している。
*マイク・グラベル(Mike Gravel):
元アラスカ州上院議員(1969-81)で、
現在は2008年の米大統領選挙に向けた民主党の大統領候補の一人。
その異色の活躍ぶりは、こちらを参照
ベトナム戦争当時は、徴兵制の延長にたった一人で反対して
意図的な長時間演説による議事進行妨害の戦術をとり、
戦後の徴兵制廃止に貢献した。
1971年6月エルズバーグからペンタゴン・ペーパーズのコピーを託され、
そのうち4100ページを上院小委員会の議事録に残した。
これが後にビーコン・プレスから出版された
「グラベル上院議員版」で、
ノーム・チョムスキーとハワード・ジンによる編集と注釈がついている。
*ロバート・ウエスト(Robert West):
ユニテリアン・ユニバーサリスト協会の元会長で
ビーコン・プレスの元経営者。
他の出版社が危険を恐れて取り上げようとしなかった
「グラベル上院議員版ペンタゴン・ペーパーズ」の出版を決断した。
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フィリバスター(議事妨害)
- 2008/04/13(日) 14:26:24
「フィリバスター(議事妨害)」は反民主的行為か?:より転載 2005/7/6
今回は「フィリバスター(filibuster)」と呼ばれる
「審議引き伸ばし」「審議妨害」について書きます。
次期国連大使に指名されてるボルトンの議会承認が
民主党の「フィリバスター」で立ち往生しています。
またブッシュ大統領が指名した裁判官の承認も「フィリバスター」に直面しています。
議会のあり方を考える上で、
こうした日米の議会の現状と相違を考えてみるのも面白いと思います。
戦前の映画ですが「スミス都に行く」
(1931年作、ジェームズ・スチュアート主演。)というのがあります。
正義感に燃える青年が偶然連邦議会の議員になります。
しかし、そこで見たのはボス議員の腐敗でした。
また地元の公共事業も議員と地元の企業とメディアが組んで不正を行なっていました。
それを知ったスミス議員は、その事実を告発することを決意します。
しかし、新米議員にはまったく影響力もありません。
資金もありません。
そこで彼は、議会の審議を通して、不正が行なわれている事実を明らかにしようとします。
その手段が「フィリバスター」でした。
彼は、延々と演説を続けます。
演説中に席に座ると、「フィリバスター」を中止しなければならず、
疲労困憊しながらも、演説を続けます。
「憲法」の条文などを延々と読み続けます。
最初は彼を無視していた世論が、少しずつ彼の主張に耳を傾け始めます。
そして不正の事実を知ることになるのです。
彼の発言を押さえつけようと選挙区では、
ボスたちがメディアを使って猛烈な誹謗中傷のキャンペーンを行います。
しかし、地元でも次第に彼を支持する人々が増え始めます。
尊敬され、潔癖に見える議員が、実は地元の企業やメディアと癒着しています。
最初はスミス議員を抑えにかかったのですが、
やがてスミス議員の正義感に恥じ、最後に自殺します。
スミス議員の「フィリバスター」によって不正は暴かれ、
議会に正義が戻るという物語です。
今、見ても十分に面白い映画です。
日本では内容が刺激的すぎるということで、上映が禁止されたそうです。
後で説明しますが、アメリカの政治には、それに似た事実があるのです。
要するに「フィリバスター」は、長時間にわたって演説することで
審議の時間切れを狙う議会戦術のことです。
「フィリバスター」は映画の世界の物語ではありません。
今現在、上院におけるボルトンの国連大使承認や裁判官の承認が
「フィリバスター」によって阻止されているのです。
まずボルトン問題のその後から書きます。
与党共和党は6月中にボルトンの国連大使人事を承認しようとしましたが、
民主党のフィルバスターに会いました。
共和党は民主党の「フィリバスター」を終らせるために「審議打ち切り」を求める
「クローチャー(clotureあるいはclosure)投票」を
5月26日と6月20日に行いました。
規則によれば、議員の6分の1の発議により、
5分の3の議員、あるいは60名の議員が賛成すれば、
「フィリバスター」を中止しなければなりません。
もっと具体的にいえば、「フィリバスター」は議員が長時間演説をすることで
議事進行を阻止するものですが、
「クローチャー投票」が成立すれば、
発言議員は投票から1時間以内に演説を止めなければならないのです。
しかし、共和党は2度の「クローチャー投票」で
いずれも60名の支持を得ることができず、
ボルトン承認の投票を行なえない状況が続いているのです。
アメリカ議会だけでなく、日本と同じ議員内閣制をとっているイギリスでも
「フィリバスター」は、正当な行為として認められています。
議会における少数党の役割をどう位置付けるかという問題があるようです。
日本の状況を見ると、少数政党が政府与党に抵抗する方法は限られています。
「牛歩戦術」や「審議拒否」「関係閣僚の不信任案提出」など、
審議を引き延ばす方法は限られています。
かつては「牛歩戦術」が「フィリバスター」と同じように効果を発揮した局面もありました。
しかし、最近の日本の国会では、
野党の審議引き延ばしは、どうも旗色が悪いようです。
ソンミの虐殺 2
- 2008/04/13(日) 13:58:23
良心の裁き The Tribunal of Conscienceより
この虐殺の直後、米陸軍の司令官たちは、真実を歪めて、
それを偉大な勝利だったと描こうとした。
この「勝利」の宣言とともに、
米軍の将校は真実を消し去る努力をした。
バーンハートが自分の選挙区の上院議員に
この事実を打ち明ける手紙を出そうとしたことを知ったメディナは、
すぐさま彼に会いに来て、脅迫し、それをやめさせた。
他の米軍将校も、それぞれ自分の部下たちに沈黙を守らせ、
この犯罪を秘密にしておくために、同じような行動をした。
1969年の初めまでに、チャーリー中隊の兵士の大部分はベトナムを去り、
全米各地で、大学に進んだり、以前の職に戻ったりした。
彼らのうち何人かは、その後も虐殺事件のショックに
悩まされ、付きまとわれていた。
またある者は、過去のこの犯罪を忘れ去ろうと努力した。
にもかかわらず、ひそかに
この虐殺事件の糾弾を準備していた元兵士が一人だけいた。
彼はチャーリー中隊の兵士でもなく、
この事件にかかわった人間でもなかった。
この人物こそ、ロナルド・ライデンアワーだった。
この虐殺事件のあった数日後に、
ソンミ上空の飛行に参加するよう命じられた。
彼は、この村が完全に破壊されていることに気がついた。
鳥の鳴き声さえしていなかった。
1968年の12月初め、復員してフェニックスの故郷に帰ったライデンアワーは、
仲間たちからは邪魔をされても、なお、
この虐殺を告発する意図を心に抱いていた。
ライデンアワーは、この手紙のコピーをたくさんつくり、
リチャード・ニクソン大統領や、国防省、国務省、
統合参謀本部の幹部、上下両院の主要議員らに送った。
これら重要人物の多くは、そんな手紙のことは何も知らないと言ったが、
アメリカ政府と軍部はこの事件を無視できなかった。
1969年の9月初め、カリーは、
ソンミでの109人の意図的な殺害行為に関して起訴されることになった。
1969年11月24日、ウィリアム・ウェストモーランド将軍は、
アメリカに戻り、陸軍参謀総長の地位についた。
アメリカ政府と軍部は、調査に消極的で、動きはおそかったが、
アメリカのマスコミは、ソンミの記事を矢継ぎ早に伝え続けた。
11月23日には、ミードロがCBSテレビに出演し、
ジャーナリスト、マイク・ウォーレスのインタビューに答えて、
ソンミでの彼自身とカリーの小隊の犯罪行為を告白した。
ソンミのニュースは、月への二度目の到着を終えたばかりの
アポロ12号宇宙船のニュースをも蔽ってしまった。
そして、ハーバールの撮影した犯罪的光景のカラー写真が、
まず1969年11月20日に『クリーヴランド・プレイン・リーダー』紙に、
ついで1970年1月19日号の『ライフ』誌に、
そしてその他多くのアメリカ、および諸国の新聞に掲載されると、
アメリカ人の怒りと運動の波は高まった。
この写真は、明らかに戦慄すべき現実を伝えていた。
アメリカの世論は沸きかえり、憤激が広がった。
なぜなら、自分たちの子弟が、
思いもよらぬ極悪非道の殺人者だったとわかったからだ。
アメリカ国内では、告発された全将校が、
軽い裁判にかけられ、その大部分が恩赦を受けた。
そして、結局最後には、あらゆる責任は、カリーに負わされたのだった。
カリーは終身刑を宣告され、陸軍から追放、給与と手当てを打ち切られた。
だが、裁判から1日後に、ニクソンはカリーを刑務所から釈放するように命じた。
1975年までに、カリーは完全に自由の身となり、
その後、ジョージア州コロンバスで、有名な宝石店の経営者となった。
殺人犯だと言われると、彼は、穏やかに、
ソンミの死体が念頭に浮かぶことなど一度もないし、
自分を殺人者だなどと思ったことも決してない、と答えるだけだった。
一人の米兵が戦争に出かけてゆく。
彼らはミライ一村のみで民間人を殺戮したのではなく、
何百という村でそれをやったのだ。
ソンミは「単独の事件」などではなかった。
第11旅団の古参兵士、テリー・ライドはこう語っている。
「俺たちの中隊は、何百人も殺したというお墨付き部隊なんだ。
この中隊がやった最初の交戦で、俺の小隊だけで40人の死者を数えた。
だが俺の小隊では、だれ一人、ベトコンの死体を見たものはいなかった。
だが、俺は、多くの村民がまるで
クレーの素焼きの標的のように撃たれてゆくのを、この目で見たぜ。」
もう一人の元兵士、ロン・グルゼシックにとって、
ミライ第4地区は数ヵ月も前から始まっていた悪循環の終りだった。
彼は言う。
「一歩、一歩と、前よりももっとひどいことになるといった具合だった。
最初は、連中を止めて、尋問をし、そして放してやった。
次は、連中を止め、老人を殴りつけ、そして放してやった。
その次は、連中を止め、老人を殴りつけ、そして撃ち殺すんだ。
そして4番目には、出かけていって、村全部を消してしまうんだ」と。
全体としてみれば、米兵はソンミの中だけで
いくつかの犯罪をひき起こしたのではなく、
ベトナム全土でもそれをやったのだ。
ベトナムにおいては、いつであっても、
アメリカ侵略者は、退避壕の中に毒ガスを撒き、
食べ物や飲み物の中に毒物を混入し、家々を焼き払い、
村民を燃え盛る炎の中に放り込み、歩兵銃で連続射殺をし、
ナイフや武器を突き刺し、南北両ベトナムを徹底的に爆撃する……などといった、
野蛮な殺戮シーンを、無数の火器や弾薬をもって、つくりだしたのだ。
その犠牲となったのは、なんら武器を持たぬ民間人だった。
犯罪者は、カリー、ミードロ、メディナといった
ギャングのような連中だけではなかった。
残忍極まる絶滅政策によって、アメリカ軍隊は、
南部クァンガイ省を根拠地とする第11機甲騎兵連隊の司令官、
ジョージ・パットン大佐を象徴とするような、
残虐な殺人者を、その中につくり出したのである。
彼は部下たちに向かって、
「俺は手や脚が吹き飛ばされるのを見たいんだ」とよく言った。
パットンは、1968年のクリスマスに
「地には平和を――ジョージ・S・パットン大佐夫妻より」
と記したカードを送ったのだが、
そのカードについていたのは、手や脚などをもがれた
ベトコン兵士の死体の山のカラー写真〈……)だった。
パットンがベトナムを去るときのお別れパーティでは、
彼は首の周りに平和のメダルをつけた恰好で、
ベトコンの頭蓋骨を放り投げて見せた。
ソンミ事件が暴かれると、カリーは裁判に付された。
やがて、一部の好戦的アメリカ人は、おろかにもカリーを支持しようとした。
ある者はカリーを英雄視し、ある宣教師は、彼を、
十字架に釘付けされた受難のキリストの例にたとえたし、
またある者は、カリーを国防長官にしようというスローガンを掲げさえした。
だが、真のアメリカ人は、自らの正義の声を上げ、
カリーの犯罪の性格に見合う裁判が必要だとし、
同時に、カリーの上官たちについても、
たとえその手が血で汚れていないようには見えても、
彼らが持つ重大な犯罪を無視することは出来ないとした。
アメリカの知識人は、この犯罪人こそ、ウェストモーランドであり、
さらにホワイトハウスの大統領執務室に坐って、
この皆殺し戦争を指揮している人物さえもそうだとした。
世論は、ニュールンベルグ裁判で、
下級兵士の行なった犯罪の責任で
15年の刑に処されたドイツのペンミ将軍の事例、
フィリピンにおいて日本軍兵士が
民間人や戦争捕虜を殺害した責任を問われて死刑に処された
日本の山下奉文将軍の事例を挙げて、
それをウェストモーランドとベトナムで
彼の指揮下にあった兵士のソンミでの犯罪の事例を関連付けたのだった。
ソンミは単独の事件にすぎず、
それでカリーは裁判に付されたのだという主張に対し、
世界とアメリカの世論は強く反対した。
ソンミは、ベトナム戦争でのアメリカの一連の犯罪行為の一部分であり、
米国政府と米国軍隊以上の犯罪者はない、というのである。
世界のいたるところで、人びとはソンミ大虐殺の写真を報道し、
新聞に転載して、米軍によるベトナムでの残虐な侵略戦争に反対する声を上げた。
ホワイト・ウォーター氏は、『ライフ』誌に自分の意見を発表し、
「まさしく、それは、歴史の中で幾たびも繰り返されてきた極めて嫌悪すべきことである。
米軍が婦女子を残酷に殺害したのは、これが初めてのことではない」と書いた。
ガブリエル・コルコ教授は、
「当然のことながら、アメリカの政策は、
南ベトナムを火の海に変え、ベトナムをその標的とした。
歴史に残る犯罪者とは、直接に銃を発射した者たちだけではない」と語った。
女優、ジェーン・フォンダは、「カリー中尉は生贄にすぎない、
最大の犯罪人は、主にワシントンの当局者たちだ」と語った。
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