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2008.03.10 (Mon)

ユダヤにより計画実行されたフランス革命

1492年のスペイン、ユダヤ人追放から始まっています。

ピューリタン革命、フランス革命、ロシア革命はすべて
国際金融家が仕組んだものです。

人民が起こした革命ではありません。


http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/b71.html より転載

ユダヤにより計画実行されたフランス革命:

外国の金貸し業者の小集団が正体を隠したまま
英国人の代理人を介して活動 して、わずか125万ポンドを融通することで
英国経済の支配権を確保した経緯を示した。

ここでは、そうしたユダヤ人国際金貸し業者の一部の正体を特定し、
彼ら、あるいはその継承者たちが1640-1649年の
英国のピューリタン革命を企て、経済支援したのと同じ手口で、
1789年のフランス大革命を企て、
経済支援を行なったことを証拠付げたい。

そして以後の章では、こうしたユダヤ人国際金融家の子孫が
1789年以降のすべての戦争、革命を陰で操る
「秘密権力となっていることを実証するつもりである。

記述が重大なのは、『ユダヤ百科事典』によれは、
エドムは近代ユダヤ人に含まれるとされている。

このエドムという単語が赤を意味するからだ。

歴史に示されるように、東∃ーロッパを転々とするのに
我慢ならなくなったユダヤ入金融業者兼金細工業者
アムシ工ル・モーゼズ・バウアーは1750年、
フランクフルト・アム・マインに定住することを決意した。
彼はユダヤ人街に店(両替所)を開き、
看板としてその軒に 「赤い楯」を掲げた。

忘れてならないのは、テロリズムに基づく革命運動に属する
東ヨーロッパのユダヤ人もー「血」を象徴するという理由から
 − 自らのエンブレムとして「赤い旗」を掲げたことである。

アムシェル・モーゼズハウア−は1743年、息子をもうけ、
アムシェル・マイヤー・バウアーと名づけた。

1754年、この父親が没したとき、息子は11歳だった。
幼い頃から類い稀な才能と聡明さを感じさせたこの息子に、
父親は金貸し業の基本原理についての可能なかぎりを教え込んだ。
父親としては息子をラビにしたかった。
しかしその死によってこの夢は果たされなかった。

父親の死後数年たって、アムシェル・マイヤー・バウアーは
オッペンハイマー銀行の事務員に雇われた。

金融業者としての天賦の才を発揮し、ジュニア・パートナーシップを与えられたが、
やがてフランクフルトに戻り、
父親が1750年に起こした事業の所有権、支配権を手に入れた。

このときにも赤い楯は誇らしげに戸口に掲げられた。

「赤い楯」に秘められた意味を承知していた
彼はそれを新たな家名として採用することにした。
「赤い楯」をドイツ語で言えば「ロート・シルト」
− ロスチャイルド商会の誕生だった。

1812年、アムシェル・マイヤー・バウアーは
五人の息子を残してこの世を去った。

息子たちはいずれも大型金融取引の指揮者となるための訓練を受けていた。

三男ネイサンにほとりわけ才覚があり、
英国銀行の支配権の確保という明確な目的をもって、彼は21歳で英国に渡った。

英国銀行の支配を足がかりにして、父親およぴ他の兄弟と連携して
ヨーロッパに独占的国際銀行業を確立するためであり、
そうすれば国際銀行連合の資産をまとめて活用することができ、
父親から息子たちに知らされている秘蜜の野望を
さらに堆し進めることができるからだった。 

ネイサン・ロスチャイルドは、その才覚を実証するかのように、
彼に託された2万ポンドを三年間で6万ポンドに殖やした。

世界革命運動を研究するとき、忘れてはならないのは
「赤い旗」がフランス革命をはじめ、
以後のあらゆる革命の象徴となったことであり、
それ以上に忘れてはならないのが、国際金融家に経済支援を受けて
レーニンが1917年にロシア政府を倒し、
最初の全体主義的独裁支配を樹立したとき、
その「赤い旗」にはハンマーと鎌とユダヤの星があしらわれていたことである。 

1773年、マイヤー・ロスチャイルドは弱冠30歳で、
裕福で強い影響力を持つ12人の人々を招いてフランクフルトで会合を開いた。

会合の目的は、資金をプールすることに同意すれば、
世界革命運動を支援、指揮する権限が得られ、
それを行動の手引きとして利用すれば、
全健界の富、天然資源、マンパワ-に対する支配権が
被らの手中におさめられると説き伏せることだった。

ロスチャイルドは英国のピューリタン革命が
どのようにしてひき起こされたかを説明する一方で、
革命にあまりにも時間がかかりすぎたこと、
反動勢力を穏当な方法で排除することができなかったこと、
大衆の支配をすばやく実現するための
計画的恐怖支配が勃発的に行なわれたことなど、
そこで生じた失敗も指摘した。

そして、こうした失敗はあったものの、所期の目的である革命は実現され、
革命を誘発した銀行家は国際経済に対する支配権を確立し、
国家負債をつくりあげたと総括した。

実際、そうした銀行家は世界規模で実行される陰謀を利用して、
1694年以来、自ら誘発してきた戦争、革命のための戦費を
貸し付けることで確実に国家負債を増大させていた。

論理的かつ健全な説明を基盤に議論を展開しながら、
マイヤー・ロスチャイルドはさらに指摘した。

「英国の革命の結果として得られた経済的成果など、
ここに出席された方々からの目的への協力、
および入念に練りあげられた改訂(革命)計画の実行について
賛同が得られた場合に生じるフランス革命で
獲得されることになる報酬に比べれは、まるで取るに足りません。

そしてこのプロジェクトは、プールされた資金で
買えるかぎりの権力に支援されることになりましよう。」

こうして協力、賛同は得られた。
マイヤー・ロスチャイルドは自らの革命計画を明かした。

自分たちの資産をまとめて巧みに利用すれば、
大衆を失業させて飢餓寸前の状態に陥れる
経済的悪状況を生じさせることは可能であり、
巧みに練りあげたプロパガンダを利用すれば、
その経済的悪状況を、国王、その廷臣、貴族、教会、企業家、
雇用者のせいにすることも可能である、と。

また、宣伝者を雇って、浪費やら不道徳行為、不正、虐待、
迫害のからむ事件についてあることないことを言いふらさせれば、
支配階級に対する憎しみ、復讐心を煽ることができ、
汚名を着せるための事件をでっちあげれば、
計画全体に干渉しかねない人々の評判を落とすこともできる、と。

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2008.03.10 (Mon)

狙われたフランス

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/b71.html より転載

罠に落ちた−ミラボー侯爵

最高会議はインゴルシユタット・ロッジを利用し、大陸のフリーメーソンに潜入させた。
イルミナティの代理人あるいは細胞組織が、社交的な博愛主義者をよそおって、
革命のための地下組織を組織できるよう、運動を展開することを決定した。

フリーメーソンに潜入した者には大東社を創設すること、
そしてそれを勧誘の場として利用することが命じられていた。

金持ちでしかも教会、国家に深く関わっている非ユダヤ人に
すばやく接触するためである。

接触できれぱ、あとは賄賂、不正行為、不正利得
といった古典的な手法を用いて、好むと好まざるとにかかわらず、
彼らをイルミナティの従僕に仕立てあげ、彼らに神の十戒とは逆のことを説かせ、
無神論的唯物主義を主張させることが可能となる・・・・・
これが彼らの計算だった。

この方針が定められると、最高会議の代理人は
フランスにおいて自らの目的にもっとも仕えてくれる
と思われる人物としてミラボ-侯爵に接触した。

彼は貴族で、宮廷で大きな権力を握っていたうえ、
フランス革命を導くための表看板として利用しようと、
彼らがすでに目をつけていたオルレアン公の親友でもあった。

そして何より、、ミラポー侯爵は道徳心に欠けていたばかりか、
あまりの贅沢三昧から大きな借金をかかえていた。

金貸し業者にとつて、フランスの有名な演説者でもある、
ミラボ−に代理人を接触させることなど簡単だった。
代理人は友人やら後援者をよそおって、
彼の経済的窮地を救おうと持ちかけた。

そして実際に彼らがしたことと言えば、
ミラボーを「歓楽の道」から悪と放蕩の深みに誘い込み、
ついには積もりに積もった借金のせいで、
被らの命令を実行せざるを得ないような状況に追い込んだこと、
それだけだった。

その借金を清算するための会合で、
ミラボーは彼の債務を管理しているユダヤ人大金融家の一人、
モーゼズ・メンデルスゾーンに紹介された。

メンデルスゾーンはやがて、魅力的で美貌の主ながら
道徳心のないことで知られていた女性をミラボーに紹介した。

この呆れ果てたユダヤ人女性はヘルツという名の男と結婚していたが、
ミラポーのような男にとっては、
人妻であることは一つの魅力と映り、彼は欲望を募らせた。

ほどなく、彼女は夫と過ごすより、ミラボーと多くの時間を過ごすようになった。
メンデルスゾーンヘの借金で身動きはとれず、
ヘルツ夫人の魅力には取りつかれ、、ミラボーは完全に泥沼に陥った。

彼はエサを丸ごと呑み込んだのだった。
それでもいっときは、彼らも善良な漁師のごとく、ミラボ−にやさしく接した。
あまりに力をかけすぎると、はりすが壊れ、
せっかくの魚を逃がしてしまう恐れがあったからだ。

次に彼らは、ミラボーをイルミナティに参入させ、
違反すれば死の罰則を受けることを条件に、
秘密厳守と無限の遵奉を彼に誓わせた。

そして名誉が損なわれるような状況にミラボーを追い込んだ 
(しかもなぜかその事実は万人が知るところとなった)。
ある人物の名誉を毀損するためのこの方法は 「ランフアミー」 として知られた。

スキャンダルと仕組まれた非難にまみれ、
ミラポーは同等の社会的立場の人々からつまはじきにされた。

その怒りは彼の復讐心に火をつけ、革命への大義を彼の心中に芽ばえさせた。
ミラボーの任務はフランスの革命運動にオルレアン公を引き入れることだった。

国王が退位を余儀なくされたら、
彼がフランスの民主的支配者となることがオルレアン公にほのめかされた。

国王や王妃、何千人という貴族は殺害するつもりでいたにもかかわらず、
フランス革命の真の陰謀者はそうしたことを、
ミラポーにもオルレアン公にも悟られないよう注意をはらい、
革命の目的は「宗教から迷信を、政治から独裁支配を排除することだ」
と、二人を言いくるめた。

さらに言えば、オルレアン公がフランス・フリーメーソンの大棟梁であったことも、
彼を表看板としなけれはならないと、革命運動を陰で操る
「秘密権力」が決断したもう一つの理由であった。  

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2008.03.10 (Mon)

性的堕落の巣窟、パレ・ロワイヤル

アダム・ヴアイスハウプトの任務は、
イルミナティの儀礼、儀式を改変し、
大東社のフリーメーソンヘの参入に利用できるようにすることだった。

彼もやはりフランクフルトに住んでいた。

ミラボーはオルレアン公とその友人のタレーランをヴアイスハウプトに紹介し、
ヴアイスハウプトはオルレアン公とタレーランを
大東社のフリーメーソンに参入させた。

1773年末になると大東社の儀礼がオルレアン公フィリップによって
フランスのフリーメーソンに導入され、1788年には、
大東社に結びついたロツジが2000以上も創設され、
奥義到達者の数は10万人に達していた。

こうしてモーゼズ・メンデルスゾーン指揮下のユダヤ人イルミナティは、
大東社のロッジを隠れ蓑に、ヴアイスハウプトによって
大陸のフリーメーソンに導入され、
各ロツジの内部には秘密の革命委員会が組織されていった。

革命を指揮する地下組織がフランス全土に広がっていったのである。

オルレアン公を、大東社の儀礼とともに、フランスのブルー(あるいはナショナル)
フリーメーソン組織に引き入れることに成功すると、
ミラボーは自らが社会的につまはじきとされた原因をつくった 
「歓楽の道」に同公を誘い込んだ。

きっかり四年で、オルレアン公は借金のために、
あらゆる形の違法通商に手を染めて
その返済を行なわなけれはならない羽目に陥った。
それでも不思議なほど彼の事業は成功せず、借金だけが膨れあがった。

1780年になると、その借金は80万ルーブルになっていた。
このときにも金貸し業者が現われ、事業取引および経済支援について提案した。

彼らは巧みに持ちかけて、オルレアン公が
その宮殿、土地、屋敷およぴパレ・ロワイヤルを
抵当に融資を受けるという契約に同意せざるを得ない状況をつくりだした。

結局、オルレアン公は借金を支払うだけの収入がもたらされ、
十分かつ確実な収入が残されることと引き換えに、
自らの財産およぴ不動産がユダヤ人金融業者によって
管理されることを認める取り決めに署名した。

オルレアン公は経済的な問題に決して精通してはいなかった。

彼にはユダヤ入銀行家との取り決めに署名することは
まちがいのない商取引だと思われた。
実際、ユダヤ人銀行家は彼の事業を管理し、
惨めな失敗状態から経済的成功に導くことを提案していた。

それが実現するなら申し分ない、彼はそう考えた。
そこに不穏な要因が含まれているとは夢にも思わなかったことだろう。
ましてや、自分がサタンの代理人に身も心も売ってしまった
のではないかなどとは・・・・・・

いずれにしても、オルレアン公は署名をして取引をした。
彼は完全に彼らの手中におさまったのだ。

性的堕落の巣窟、パレ・ロワイヤル

フランス革命を指揮する「秘密権力」はコデルロス・ド・ラクロを任用して
パレ・ロワイヤルおよびオルレアン公の財産を管理させた。

ド・ラクロはスペイン系ユダヤ人の家系にあったと考えられている人物で、
パレ・ロワイヤルの管理者に指名されたときには 
『危険な関係』をはじめとするポルノまがいの作品の作者として喝采を浴びていた。

愛の駆け引きのさまざまな様相を研究したのは
政治愛のゆえであると論じることで、彼は極端な不道徳を公然と擁護した。

コデルロス・ドニラクロがどのような人物で
あったかということは大した問題ではない。
問題は彼が何をしたかということである。

彼はパレ・ロワイヤルを史上最悪の悪名高き宮殿にした。

そこには猥せつ写真のギャラリー、ポルノ図書館がつくられ、
淫らな行為、恥ずべきショー、性的堕落の最たるものを具現する舞台など、
ありとあらゆる享楽が用意された。

そしてあらゆる形の好色にふけることを望む男女には
恰好の機会が提供された。
パレ・ロワイヤルを拠点として、フランス人の宗教心、公徳心を
組織的に破壊するための運動の詳細が練られ、実行された。
    
こうしたことは「最高の革命家は道徳心なき若者である」 
というカバラ的理論に基づいてなされたことだった。

ド・ラクロの仲間の一人がバレルモ出身のユダヤ人、
カリオストロことジユゼッペ・バルサモだった。
彼はオルレアン公の不動産の一つを印刷所に替え、
そこで革命についてのパンフレットを印刷した。
また、革命の宣伝者も組織した。

彼らは文学にとどまらす、人間のもっとも低俗な本性に訴えるよう計算された
音楽会、芝居、討論会を主催して革命運動を堆し進めた。
さらに、バルサモはスパイ団を組織し、革命運動を陰で操る 
「秘密権力」が計画的な名誉毀揖のための
ランファミー計画を実行するお膳立てを行なった。

ドラクロおょびバルサモによって張り巡らされた
ワナにかかった人々は、男女を問わず、
彼らの命令を実行するよう強請られた。

こうしてオルレアン公の不動産が革命の策略の拠点と化す一方で、
表向きは講堂、劇場、アートギャラリー、
アスレチッククラブの看板を掲げた
ギヤンブル場、売春宿、酒場、ドラッグショップが大いに活況を呈した。

こうした革命のための闇の世界では、指導者になり得ると目されると、
その人物にはワナが仕かけられた。

悪と交わることでまず良心をそがれ、
次に悪の慣習に染まることで良心を抹消されたのである。
つまり工場と化したオルレアン公の不動産では、
世界革命運動を陰で操る「秘密権力」が世界を舞台にした
ゲームを戦うのに利用する駒がつくられていたということだ。

『血の王子』を記したスカダーは
パレ・ロワイヤルについて以下のように述べているー

「そこはこの街のどこより警察に通報すべきことを多く提供した」。

それでも大衆に関するかぎり、この悪名高き宮殿は
国王の縁者オルレアン公によって所有されているものであり、
それが金貸し業者によって管理され、彼らの復讐の道具となる革命組織、
および秘密の目的と野望を堆進するための

行動の手引きをつくるために利用されているとは、
ほんの一握りの人々以外、誰も知らなかった。

13:53  |  ピューリタン革命とフランス革命  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.03.10 (Mon)

マリー・アントワネットの悲劇

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/b71.html より転載

急使が携えていた秘密文書は警察に精査されたあと、
バヴアリア政府に提出された。
同政府はただちにイルミナティ本部の強制捜査を命じた。

世界革命運動の拡大化を示す証拠がさらに押収され、
フランス、英国、ポーランド、ドイツ、オーストリア
およぴロシアの諸政府は革命の企ての国際性について知らされた。

それでも、以来繰り返されてきたように、
諸政府は厳重な措置をとってこの邪悪な企てを阻止しようとはしなかった。
なぜか?

唯一の回答はいかなる政府の権限より、
世界革命運動を背後で操る人々の権力のほうが大きい、
ということであり、この事実は一連のことがらが
明かされるにつれ、何度となく示される。

世界革命運動を目論み、計画した悪意ある人々には
普通の人々にはない強みがある。

というのも、神の存在を信じ、神から賜った美しいものを愛で、
享受する普通の人々には、同じ人間が憎しみと復讐心に満ちた
邪悪な計画を考えだすとは到底信じられないからである。

キリスト教徒はすべて、神の恩寵は自分たちが宗教儀式に参加し、
聖餐を受け、祈りを捧げた結果として魂に届けられると
心から信じているにもかかわらず、
ユダヤ系カバラ思想であれ、大東社のアーリア人系無宗教思想であれ、
イルミナティの儀式によってサタンもまた、
宗教としてサタン主義、無神論を受け入れ、
その宗教の高僧の理論を実践する人々の心に邪悪な影響と力を及ぼす
ということが彼らには信じられないのである。

世界革命運動の真の指導者の邪悪な仕かけに関して与えられる警告に、
個人がそして政府がいかに無対策で無防備で
ありつづけているかという証拠を示したい。

1785年にバヴアリア警察から知らされても、
諸政府が情報に基づく対策を講じずにいると、
マリー・アントワネットの姉は、
革命の企て、国際金融家の関与、フリーソンに任じられた役割、
マリ−・アントワネット自身に迫っている危険について、
警告を与える私信を殊に宛てた。

彼女は姉から伝えられたような恐ろしいことが
イルミナティによって企てられているとはまったく信じられず、
繰り返し送られてくる警告の手紙にも、
その旨を書き連ねて返事としていた。

博愛主義的フリーメーソンをよそおって活動している
イルミナティがフランスの教会と国家両方を破壊しようと
計画していることを裏付ける証拠が得られたとする
姉の主張に対してさえ、マリー・アントワネットは以下のように応じた。 

「フランスに関するかぎり、姉上はフリーメーソンを心配しすぎて
いらっしやると思います。
当地では他の∃ーロツパ諸国においてとは異なり、
フリーメーソンはまったく重要性を持っていません」。

彼女がまちがっていたことは歴史が示すとおりである。
姉から繰り返された警告に注意をはらうことを拒みつづけていたために、
マリー・アントワネットもその夫も断頭台の露と消えることになった。

1917年から1919年にかけて、英国政府は当時、
世界革命運動を陰で操っていた「秘密権力」を構成していた
国際銀行家についての詳細情報を山のように与えられた。

情報は英国諜報部将校、アメリカの諜報部将校に提出され、
アウデンダイク氏、M・フインリー卿によって確認された。
 
歴史を学ぶ学生の大部分は、
マリー・アントワネットはフランス宮廷の快活さ、華やかさに
見事にとけ込んだ女性だったと思っている。

夫の親友との情事にふけったり、贅沢きわまりない生活を
おくったことが史実として一般に受け入れられているが、
これはバルサモおよびその手下の宣伝者がつくりあげた
マリー・アントワネット像である。

彼らの「ランファミー」は現実に有効にはたらいて、
暴徒は彼女の命を狙うようになった。

それでも、彼らがつくりあげたマリー・アントワネットの行状は、
歴史家が実証するように、嘘のかたまりである。

敵によってもたらされた苦しみに耐え抜いたその不屈の精神、
運命に立ち向かう気位、断頭台上に生命を捧げ出した潔さと勇気は
断じてふしだらな女性の特質ではない。

マリ−・アントワネットの評判を落とすために、
ヴアイスハウプトおよびメンデルスゾーンが考えついたのが 
「ダイアモンドの首飾り事件」だった。

当時、フランスの財政は最低の状態にあり、
フランス政府は国際金融男爵にさらなる借金を求めていた。

大陰謀者の秘密代理人は25万ルーブルの価値はあると思われる
豪華なダイアモンドの首飾りをつくるよう、
王妃の名を騙って宮廷宝石商に命じた。

宮廷宝石商が注文どおりの首飾りを納めに現われたとき、
王妃は関与を否定し、まったく身に覚えのないことだと言い張った。

しかし豪勢なネックレスの話は、陰謀者が目論んだとおり、外部に漏れ広まった。

バルサモはプロパガンダ機関に活動を開始させた。

名誉毀損を目論む中傷戦術のせいで
マリ−・アントワネットには非難が殺到し、
その名声は汚され 評判は踏みにじられた。

そして毎度ながら、偽りの情報を流した人物あるいは
集団を告発する者など一人も現われなかった。

ことが大騒動となっ時点でバルサモは今度は最大傑作の嘘を流した。

問題の首飾りは王妃の愛人が彼女の恩寵に対する感謝のしるしと
して贈ったものだったとする印刷物を、何千部、何万部とばらまいたのだった。

それでも、ランファミ−を実行する人々は王妃に関して
さらに悪質な偽りの情報をでっちあげた。

深夜にバレロワイヤルで会ってダイアモンドの首飾りのことを相談したい
といった趣旨の手紙を、王妃の偽の署名まで添えて、
枢機卿プリンス・ド・ロアンに宛て、
雇ったパレ・ロワイヤルの売春婦の一人を
マリー・アントワネットに仕立てあげて枢機卿と関係をもたせたのだった。

この出来事は新聞や印刷物に大々的に取りあげられ、
教会と国家の最高位にある人物二人に関して、
この上もなく汚らわしい非難、中傷が並べたてられた。

歴史記録によれば、この首飾りは邪悪な目的のために利用されたあと、
英国に持ち込まれて解体され、高価なダイアモンドの粒のほとんどは
イライアソンなるユダヤ人の手元に置かれつづけたとされている。

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2008.03.10 (Mon)

借金漬けフランスが直面した恐怖支配

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/b71.html より転載

次に紹介するのはフランス革命をひき起こす企てと
英国のユダヤ人金貸し業者を結びつける証拠で、
これは「オカルト神権政治」を記した
クイーンズバラ伯爵夫人によって明かされたものである。

ある研究をしていた同夫人は
バーナードニフザールという名のユダヤ人によって記され、
1849年に出版された「反ユダヤ主義」を読み、
その結果得られた手がかりから、
ペンジヤミン・ゴールドシユミット、
その弟工イブラハム・ゴールドシユミット、
そして同兄弟の共同経営者モーゼズ・モカッタ、
その甥のモーゼズ・モンテフィオーレ卿が
大陸のユダヤ人同胞と連携してフランスに革命をひき起こそうと
企てた英国のユダヤ人金融業者にちがいないと主張した。

さらに、ベルリンのダ二エル・イツィッヒ、
その義理の息子にあたるデヴィツド・フリートランダ-、
アルザスのヘルツ・ゲルグベールをロスチャイルド家
およぴその企てと結びつける証拠も現われた。

こうして当時、世界革命運動を陰で操っていた
「秘密権力」を構成していた人々が明らかとなった。
こうした人々がフランス政府を財政難に陥らせるために
利用した方法を知ることは、
それが以後アメリカ合衆国、ロシア、スペインなどの国々で
定型として採用されたという意味において重要である。

『ナポレオンの生涯』第二巻でウォルター・スコット卿は
当初の運動を明確に物語る。

つまり彼は「このような金融家は、破産浪費家に一方で乱費を勧め、
一方では貸付けの見返りとして法外この上ない代償を
その破産財産から搾り取る高利貸しさながらの狡猾さで
(フランス)政府を利用した。

そうした破滅的融資の継続、さらには彼らに認められたさまざまな権利によって
フランスの経済は完全に麻痺状態に陥った」
と当時の状況を概説するのである。

フランス政府が、国際陰謀者の秘密の野望の実現のために
仕かけられた戦争の戦費をまかなうために、
巨額の融資を求める立場に置かれると、
彼らは、同意条件を自分たちに決定させることを条件に、
親切にも融資を持ちかけた。

表面的には彼らの条件は寛大だったが、ここでも不穏な要因は含まれていた。

M・ネッケルである。
財務長官としてフランス国王の顧問に任じられたネッケルのことを、
ユダヤ人金融家たちは、金儲げの天才だから
瞬く間にフランスを財政的窮状から救いあげてくれるはずだと吹聴した。

実際のところ、次の四年間でネッケルがしたことと言えば、
フランス政府をいよいよ深くユダヤ人金融家と関わらせ、
国家負債を1億7000万ポンドにまで増大させたこと、
それだけだった。

A・H・M・ラムジー大佐は著書『名もなき戦争』で
この状況を的確に言いあてている。
いわくー
「革命は麻痺患者への一撃である。
借金漬けにしたら、あらゆる形のプロパガンダ活動およぴ政治活動の支配が
企業家(労働者も含む)の完全支配とともに続いて生じる。
これが革命の一撃のための準備投階である。

右手で経済を支配して麻痺状態をつくりだし、
革命の左手で短剣を握って致命的一撃を与えるのである。
道徳が退廃していれば、それほどの段階にあっても有利にはたらく」。

バルサモのプロパガンダ印刷物が、
教会と国家の最高位にある役人を非難する一方で、
イルミナティの特別代理人は、革命活動と同時進行するよう
計画された恐怖支配の指導者として利用すべき人物群を組織した。

そこに含まれていたのがロベスピエール、ダントン、マラーである。

囚人、精神異常者を解放することで、計算済みの恐怖支配を現出するのに必要な
風潮をつくりあげることになるこの集団は、
真の目的を隠すために、ジャコバン修道院内で会合を開いた。

神聖な壁に包まれて流血の計画が練りあげられ、
反動主義者に粛清のしるしを付けたリストが作成された。

そして野放しとなった犯罪者、精神異常者が
大量殺戮や公開レイプを行なって住民を怯えさせているあいだに、
地下組織のメンバーはコミユーンの獲得者マ二ュエルの指揮のもと、
主だった政治家、高位の聖職者、国王に忠誠を誓っている
とされる将校を逮捕するよう説明された。

また、ユダヤ人地下組織から現われた人々はジャコバン党を発足させ、
「恐怖支配」を指揮するために求められている任務に精通した
指導者のもとで大々的に残虐行為 を行なって陰の支配者の目的に仕え、
彼らがその最終日標に向かってさらに前進できるよう奮闘したのだ。

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2008.03.10 (Mon)

ユダヤにより計画された英ピューリタン革命

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/b70.html より転載

チャールズ一世の断首を行った英国革命の裏に潜むユダヤ

かつてユダヤ人を追放した国家に侵入する計画が
どれほど首尾よく実行されたかは、以下の記録によって判断される。

1600年、ユダヤ人は英国に戻った。
ハンガリ−には1500年に戻ったが、1582年に再度追放され、
スロヴアキアには1562年に戻ったが、1744年に再び追放された。
また、リトアニアには1700年に戻った。

何度も追放されたが、ユダヤ人地下組織は常に存在しつづけ、
そこから「秘密権力」の革命活動が指示された。

英国王エドワード一世は、ユダヤ人を追放した最初の人物だったから、
フランス、オランダ、ドイツのユダヤ人金融男爵は、
計画された革命テクニックをまっ先に英国で試せば、
趣のある正義となると考え、地下組織の代理人(組織細胞)を利用して
国王と政府のあいだに、
雇用者と労働者のあいだに、
支配階級と労働階級のあいだに、
教会と国家のあいだに軋轢を生じさせた。

陰謀者は政治と宗教に議論を持ち込んで国民を対立陣営に二分した。

最初はカトリックとプロテスタントに、
さらにはプロテスタントを
英国国教徒と非英国国教徒に分立させたのだった。

カネで雇われたクロムウエル

チャールズ一世が議会と対立状態に置かれると、
オランダの金融男爵マナセ・ペン・イズラエルはその代理人に
オリヴアー・クロムウエルと接触させ、
「英国の王座を転覆させるという彼らの計画を実行してくれれば大金を提供する」 
と申し出た。

マナセ・ペン・イズラエルの他にもドイツ、フランスの金貸し業者が
クロムウエルに資金を融資した。

歴史上の「偉大なるユダヤ人」として言及されることも多い
ポルトガルのフエルナンデス・カーヴアハルが
クロムウエルの中心的な請負人となって円頂党を再編して軍をつくり、
金で買える最高の武器、装備をこれに与えた。

陰謀が進展すると、訓練を受けた何百人もの
革命兵士が英国に密かにおくり込まれ、ユダヤ人地下組職に合流した。
(これとまったく同じことは、現在のアメリカでも生じている)

当時、英国におけるユダヤ人地下組織の指導者はデ・ソウズだった。
偉大なるユダヤ人であるフエルナンデス・カーヴアハルは
その影響力を利用して、デ・ソウズをポルトガル大使の地位に就けた。

革命的ユダヤ人地下組織の指導者たちが
秘密のうちにその目論み、企てを練りあげたのは
外交特権に守られたデ・ソウズの屋敷においてだった。

革命が決意されると、ユダヤ人陰謀者は
カルヴィニズムを英国に導入して、教会と国家、そして国民を引き裂いた。

一般通念に反して、カルヴィ二ズムはユダヤにその起源があり、
キリスト教の信者を分派させ、
国民を分立させるために入念に考え出されたものだった。

宗教論争ばかりではなく、革命指導者は武装暴徒を組織し、
その指揮者によって政治、労働にもたらされたあらゆる状況を悪化させた。

チャールズ一世処刑の企て

「経済支援の見返りに、ユダヤ人の英国への入国を提唱しよう。
しかしながらこれは、チャールズが生きているかぎり、実行され得ない。
が、裁判にかけないかぎり、チャールズの処刑は不可能であり、
現在のところ裁判にかける適切な根拠も存在しない。
それゆえ暗殺があり得ることをチャールズに諌言するがよかろう。
とはいえ、当方には暗殺者の手配に関わるつもりは一切ない。
チャールズの逃亡を手伝うだけだ。」

これに対する返答として、記録によれば、
E・プラットは1647年7月12日に、クロムウエル宛てに以下のょうな手紙を記した。

「チャールズが除去され、ユダヤ人の入国が認められ次第、経済支援を行なう。
暗殺は危険すぎる。
チャールズに逃亡の機会を与えるだけでよい。
その後に身柄を拘束すれば、裁判にかけることも、処刑も可能となる。
支援は惜しまないが、裁判が始まらないうちから、
金額についての議論をしても意味はない。」

同じ年の11月12日、チャールズは逃亡の機会を得たが、
無論、再監禁された。
チャールズが再監禁されると、事態はたちまち進展した。

クロムウエルは国王に忠誠を尽くすと思われる議員の
大部分を英国議会から追放した。
このような強硬措置がとられたにもかかわらず、
1648年12月5日に夜を徹して下院議会が続けられると、
大多数は「国王によって提出された譲歩案は和解のために納得できる」と合意した。

和解の実現は、E・プラットを介して
国際金融男爵から約求された血塗れの金(殺人謝礼金)を
クロムウエルが受け取れなくなることを意味した。

そこで彼はもう一度手を打ってプライド大佐に命じ、
国王との和解を支持した議員を議会から追放させた。
これが歴史の教科書に現われる「プライドの追放」である。
         
追放の結果、50名の議員が残り、「議会」として記録される議会が構成され、
絶対権力が奪取された。

1649年1月9日、英国王を裁く目的で、
クロムウエルの軍隊出身の「水平派」がその三分の二を占める
「高等法院」が宣言されたが、このメンバーにはチャールズ一世に対して
犯罪告発状を草案する英国人法律家を見いだせなかった。

そこでカーヴァハルは英国におけるマナセ・ペン・イズラエルの代理人で
ユダヤ人のアイサック・ドリスラウスに命じて
国王チャールズ一世を裁くための告発状を書かせた。

チャールズは英国民ではなく、ユダヤ人である国際金融男爵によって
差し向けられた罪状に対して有罪を宣告され、
1649年1月30日にホワイトホール(ロンドン)の
バンケッティング・ハウスの前で公開処刑された。

エドワード一世によって英国を追放された
ユダヤ人金貸し業者にしてみれば
サタンのシナゴーグの高僧から指示を受げつつ
これで復讐が果たせたのだった。

そしてオリヴアー・クロムウエルは、
かつてユダがそうしたように、血塗れの金を受け取った。

戦費を貸し付けて国家財政を転覆させる歴史が示すょうに、
国際金貸し業者のユダヤ人は、
復讐以外の目的からもチャールズを亡き者にしようとした。

英国経済および英国政府の支配権を手中におさめるためである。

彼らはまた、∃ーロッパの多くの国家を
英国との戦争に巻き込もうと計画した。

戦争遂行には巨額の資金が必要とされるため、
戦争を誘発し、その軍事費を∃ーロツパの諸国王に貸し付ければ、
∃ーロッパ諸国すべての国家負債を
急速に大きくすることができるからだった。

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2008.03.10 (Mon)

イングランド銀行の設立


http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200508200000/  より転載

1541年11月、カルヴィンは「教会条例」を定めた。

すべての人々に絶対規律を課すものだった。
この条例は、あらゆる敵対者に死の罰則を課すもので、
カルヴィンの反対派の中心人物ジャーク・グルエなど涜神の罪で斬首され、
宗教的に対立していたミハエル・セルヴェトスは焚殺された。
他にも反対派勢力は拷問を受けたり、斬首されたりした。
また、カルヴィンは魔女の焚殺を推奨し、非情なまでに条例を執行した。

カルヴィニズムの英国への流入は、教会と国家のあいだに分裂を
生じさせようという計算に基づくものだった。

伝統的な英国国教会は名目上、国王を長としていた。
カルヴィニズムが分裂を引き起こそうと活動したことで、
クロムウェルが勝利し、スチュアート王朝の国王に代わって
オラニエ=ナッソウ家が王位を継承することになった。

この粛清の最初の犠牲者はチャールズ1世で、
彼は謀反人によって斬首された。

1657年1月30日、チャールズはホワイトホールで斬首された。
クロムウェルも勝利を堪能できるほど長生きはできず、1661年に死亡した。
結果としてチャールズ二世が王位に復活した。

チャールズ二世が英国国王の座に就いたことで、
アムステルダムの銀行家は1674年、英国に大きな経済危機をひき起こした。
この混乱は、ナッソウ家が王位を奪取しようとしたために生じたものだった。

1677年、英国は敵対していたオランダと和解した。

和解条件の一つとして、オラニエ家のウィリアムは
ヨーク公爵(1685年にチャールズ二世が没すると、
ジェームズ二世となって王位に就いた)の娘メアリーと結婚した。

こうなると、ウィリアムが英国王位を継承するには、
ただ1人ジェームズ二世だけが邪魔だった。

アムステルダムの銀行家はジェームズ二世派の貴族層に
せっせと賄賂を贈り始めた。
この攻勢に最初に負けたのがマールバラ公爵ジョン・チャーチル
(ウィンストン・チャーチルの先祖)だった。

彼は、軍隊の指揮官であり、
同公爵の指示を取りつけることは是非とも必要だった。
マールバラは35万ポンドの賄賂を
メディナ家およびマシャド家から受け取った。

次に陥落したのはシュールズベリー卿で、
チャールズ二世およびジェームズ二世の治世に
高位の役職に就いていた人物だった。

こうした時流の変化を見てとり、
シドニー・ゴドルフィン、サンダーランド公爵、ポーツマス公女
といった名士も密かにオラニエ家のウィリアムの
王位継承を支持する側にまわった。

それでもジェームズ二世は
周囲にはびこる背信計画に気づかなかった。

マールバラ公爵など、1688年11月10日には、
ジェームズ二世に対する忠誠の新たな誓いに著名しながらも、
11月24日には、オラニエ公ウィリアムの勢力に
加わるというありさまだった。

ウィリアムの侵略に手を貸した人々は十分に報われた。
彼らは以来、英国において富豪一族となっている。

ともあれ、第一の課題は1694年の
イングランド銀行の設立に勅許状を与えることだった。

このために、アムステルダムの銀行家たちは
ウィリアムを支援してきたのである。

これによって、カナン人の一大運動は真の世界権力となった。

ウィリアムが王位に就いたことで、
英国の王座は黒い貴族の系譜にしっかりと組み込まれ、
そのまま今日に至っている。

イングランド銀行の最初の株主となり、
1万ポンドを投資したシュールズベリー卿は、
イングランド銀行は交易のために融資するだけでなく、
内戦という重荷を肩代わりすることになると熱を込めて予言したが、
この予言は嘘ではなかった。

イングランド銀行が英国の金を支配するようになってから、
どの革命分子も融資を受けられなくなったために、
英国では2度と内戦も革命も起きなくなった。

スコットランドの領主は1人残らず
ジェームズ二世に忠誠を誓っていたが、
パトリック・ライアンがまずウィリアム支持にまわった。

彼はストラスモア伯となった。
14代目の伯爵の娘、エリザベス・ボウズ─ライアンが
現在の(故)英国皇太后である。

イングランド銀行は、英国の王位の奪取を成功させた
国王殺害と世界的陰謀の結果として勅許された。

それでもジョン・バカンは自伝の中に以下のように記している。
「私もローズベリー卿同様、長いあいだ、
彼(オリヴァー・クロムウェル)をもっとも偉大な英国人と見なしていた」。

ローズベリー卿は英国貴族として初めて
ロスチャイルド家と姻戚関係を結んだ人物である。

彼が、英国でただ1度だけ生じた国王殺害の記憶を美化したとしても、
当然と言えば当然だ。

13:06  |  ピューリタン革命とフランス革命  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.03.10 (Mon)

増加の一途をたどった国家負債

1640年から1689年にかけて戦われた戦争、反乱のすべてが、
英国の政策および経済を支配できる地位に就こうとした
国際金貸し業者によって誘発されたものだったとは
一人も知らないのではないかと思われる。

そうした金貸し業者は、英国銀行の設立許可を受けること、
そして彼らによって誘発された戦争の費用として
英国に貸し付けた金の返済を確保することを何よりの目的としていた。

この目的を彼らがどのように果たしたかについては
歴史が示すとおりである。 

分析をつきつめると、戦争、革命に関わったどの国家もどの良民も、
恒久的利益を得ていないことが明白となる。
政治的、経済的、宗教的問題に関するかぎり、
恒久的あるいは満足のゆく解決が実現されたためしはない。

利益を得るのは、戦争、革命に資金を融資した金貸し業者と、
軍隊、船舶、軍需品を提供した
その友人、代理者といった小集団に限られている。

英国の王位についたオランダ将軍は、
英国大蔵省を説得して125万ポンドの金を、
自らを英国に送り込んだユダヤ人銀行家から借金させた。

歴史の教科書が伝えるところによれば、
この話し合いは英国政府を代表するジョン・ハブロン卿
およぴウィリアムーバタリン氏と、
正体を秘密に保たれたままの金貸し業者の
あいだで行なわれたとされている。

歴史文書の研究によって、秘密を保つために、
貸付け条件についての交渉が教会内で行なわれたことは明らかである。

キリストの時代、金貸し業者は神殿を利用した。
ウィリアム公の時代、彼らは教会の神聖さを汚した。
国際金貸し業者は自らが条件を設定できるなら、
英国大蔵省に125万ポンドまで融通してもよいとした。 
この提案は承認された。

以下に彼らが設定した条件の一部を記しておく。

1、貸付けを行なった人物群の名は伏せられること。
  そして彼らに英国銀行設立の特許状が与えられること。

2、英国銀行理事に金本位制を確立する法的確限が与えられること、
  それによって。

3、金庫室に保管されている金1ポンド等価で
  10ポンド相当まで貸付け可能とすること。

4、国家負債の清算およぴ国民からの直接税によって、
 元金と利息としてしかるペき金額の支払いの確保が認められること。

こうして、国王オラニエ公ウィリアムは125万ポンドのために
英国民を経済的隷属状態に陥らせ、
ユダヤ人金貸し業者はその野望を果たした。

国家通貨の発行、管理の権限を奪取したのである。
この権限さえ手に入れてしまえば、
彼らは誰が法をつくろうと一切関知しなかった。

金本位制が採用されたとはどういうことか

簡単な取引を例にとって考えても容易に理解できる。

英国銀行の理事は抵当物として保管されている金100ポンド等価で
1000ポンド相当の貸付けを行なうことができたということだ。

利息はまるまる1000ポンドにかけられたから、
利息5パーセントで年間50ポンドが取りたてられ、
それによって最初の一年が終わった時点で、
彼らは貸付けを保証するために貸し出した金額の50パーセントを回収していた。

また、融資を望む相手が個人の場合、
銀行家は不動産、株券、債券など、
必要とされている貸付け等価以上の抵当物を求め、
この個人が元金、利息を支払えなかった際には、
抵当物受け戻し権喪失の手続きをとって
貸付げ等価の何倍もの資産を手に入れた。

国際銀行家には、英国に国家負債を完済させるつもりなど毛頭なかった。

彼らは、関係国家すべてをどんどん借金状態に追い込むような
国際状況を現出しようと計画していた。

英国に関するかぎり、国家負債は増加の一途をたどり、
1694年から98年にかけての5年間で
100万ポンドから1600万ポンドまで膨れあがった。

すべては戦争のためだった。

この時期の軍事指導者がジョン・チャーチルだったことを思うと興味深い。
その軍事的才能および英国への貢献から、
彼には初代マールバラ公の肩書きが与えられた。
   
世界革命運動の背後に潜む「秘密権力」は、
糸を操ってスペイン王位継承戦争をひき起こした。

1701年、マールバラ公はオランダ国軍の最高司令官に任じられた。
唯一、『ユダヤ百科辞典」だけが、
「数々の功績にゆえにマールバラ公爵には、
年間少なくとも6000ポンドの金が
オランダに住むユタヤ人銀行家から与えられていた」
という事実を記録している。

1698年から1829年のあいだに英国の国家負債が
8億8500万ポンドにまで膨れあがった事情は、
フランス革命に至る出来事によって説明される。

1945年には英国の国家負債は225億3503万2372ポンド
という天文学的数字となり、
1945・46年のあいだの金融経費だけで
4億4544万六2416ポンドに及んだ。

「この異常なポンドにあくまで執着するのは
ユダヤ人支配下にある組織くらいのものだろう」
あるアイルランド人経済学者はそう言った。

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